化解冤親債主の修法
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1.冤親債主(おんしんさいしゅ)とは
冤親債主とは、現在、過去、前世で作った所の業障の因縁で、争執、鎗奪、侵犯、傷害、凌辱、殺食等の数々の形式より形成した悪縁であり、これらが冤親債主となった物である。これには冤親債主、怨縁債主、前世で作った借金、命を奪う、一切の衆生に対して薄情、前世の父母、兄弟姉妹、同学仲間、隣人などの諸々の衆、堕胎した嬰児の霊、天道、仙道、地獄道、餓鬼道、畜生道の縁のある衆生、前世で間違えて殺した、誤って殺した、故意に殺した諸々の人、現在過去に姦淫し、傷つけ、害した衆生、現在過去怒り、嫉妬で障害した衆生を包括している。
2.冤親債主の危害
人々には因果、即ち因縁の観念が欠乏しており、それで広く悪業を作り、多方面に殺生をし、肉食をし、これらの現在過去前世に被害した動物の冤霊が、人の体に取り憑き、仇をうとうと機会を伺い、離れようとはしなく、これらの怨霊には仇恨みが充満しており、十分に破壊力のある磁場を形成していて、人体に障害となる。各種の今の世界で解決出来ない病、癌症・白血病・糖尿病等。世界の範囲で広く殺業を行なう事により、各種の頑疾が大量に爆発し普遍的に存在して根絶しがたい。
冤親債主がまとわりつくのは、因果応報であり、時時刻々我々に影響を与え干渉してくるのであり、身体が良くなく、運勢が良くなく、事業は不振となり、夫妻は不和し、子供は言う事を聞かず、精神は憂欝となり、不眠で気をもみ、さらには修行をするのに諸々の多くの障害となるのであり、これらは全部冤親債主が浄化されていない為に起きる。
3.冤親債主の具体的なる表現
(1) 悪夢で心が驚く
冤親債主はすべて空間にいる霊体であり、人は睡眠中に最も容易にそれらの活動を感知しやすい。それらは報いを受ける者の体の磁場が最も容易に夢中では受けやすいからであり、それで報いを受ける者は各種の悪夢に出会う。これらの夢境では報いを受けるそれらの原因や系統がわかりづらく、夢は常に悪因が正式に釈放される前の重要なる警告であり、もしも高度に重視してその時を逃せなければ、悪因も芽が出たてのその頃につみ採る事が出来よう。
(2) 善縁をみずから断つ
冤親債主が正式に報いを始める前、その報いをよくしようとする為、報いの過程中に於いて外との干渉を阻止するため、常々非常に報いを受ける者の周囲の各種の善縁に注意を払っている。法を設けて報いを受ける者の一切の可能な外の援力・関係を断つようにしむける。報いを受ける者の可能に存在して、報いを受ける者を助け悪因を解き、苦厄を渡りすごせる一切の貴人を、全部断ち阻止しようとくわだてる。
それは報いを受ける者の親であったり、友人であったり、夫或いは妻、仕事仲間であったり、先生等であったりと、それらの縁を断ち、報いを受ける者の親しみのある人や、友人などのもとより存在しているその関係を、報いを受ける者の善縁を皆失わせ、孤独とさせておとなしく報いを受けるようにしむけるのである。いくらまわりの人達がその人によかれと思って忠告、援助をしてもその人は全然耳をかさないようになる。悪いほうに悪いほうにと突き進むのである。
(3) 福報を密封する
人とは片手に罪を携え、もう片手は幸福を携えて人の世の中に出て来たものであり、罪を消して福を増加すると言うのが人生の生存なる原則であり、もしも人が幸福を惜しむ事なく、勝手気ままな事ばかりするならば、可能的にはその人の持っている福報が未だなくなる前に、悪報が事前に釈放される事になる。この種の状況下では債権者は報いを受ける者の未だ尽きていない福報を閉ざす事が出来、福報の展開の応用を阻止断つ事が出来る。
この種の福報が閉ざされてから、本来修行して神にご祈願してもいつも霊験があり、求める事には必ずその効果が出ていても、しかしもうこの時には再びお願いしても何の験もなく、業障が大山の如くに前途に立ち塞ぐのであり、乗り越える事はとてもむずかしいものだ。財や富を追求しようとしても、しかしながらそれに反してその財が大破したり、地位の上昇を追求しても、かえってゆえなく地位をなくし、事業の成功を追求しても、しかし戦いにことごとく被れ、異性との感情の願いを遂げようとしても、その感情は何時も挫折し、家庭が幸福で円満を望むも、その家庭は矛盾が重なり破綻するに至る。
修行者はこの期間事故がしきりに起こり、その修行の功徳効果はすべて業力にさえぎられ、修行しても何の効果が見られない現象を起こす。この状況下社会上にて業障が比較的重い人は、あやまった考えを起こして、修行とは人をだます迷信の類いだと思い、浅く学んで即ちその実践、を放棄したりする。ただ志があり意思が堅固なる人は、勤行して休まず、何事があってもやり続ける人のみが、これらの閉ざされた福報の業力を突破し、新たなる次の境地を獲得出来るものだ。
福報が閉ざされば当事者の諸々の事が不順となり、万事皆不如意となり、志を遂げがたく、煩悩がとぎれる事なく、意思は消沈し低迷し、憂欝で悲観的になり、人生を死で終わらせようとし、報いを求める者は報いを受ける者を自殺の危境に追いこもうし、或いは徹底的に報いを受ける者の生命・健康をつぶそうとし、ゆっくりと進行していき最後には報いを求めるその債務を完了させる。
(4) 予測不能
報いを受ける者は業の報いが釈放される前には、各種の占いや霊感占い等には占いされる側ある者は人に占う者は、まごころがあれば普通には良く当たるものではあるが、しかしこの注意をうながすこの期間内では、陰動が先なのでこの冤親債主は隠れた状態のままで、厳重なる干渉や阻断(邪魔)を行なうものであり、それで占いを求めたり人に占いをする事はすべて完全に改変し、錯誤率や誤判断があるのほいつもの事となり、霊感者もまた当たらなくなるものであり、もしも報いを受ける者は此の期間内に随時業力の干憂を警覚し、随時罪を懺悔し業を消滅すれば、それは早く正常に回復するものである。
(5) 気持ちの変化
冤親債主が注意をうながすこの期間にて、常に隠れて黙々とその影響力を使うものであり、報いを受ける者の魂や心・頭の先天と後天の系統に作用する。それは報いを受ける者の心を錯乱させ、性格がごろりと変わり、間違った判断、思想がかたより、興奮と落ち込みが交差し、マイナス面の思考判断が上昇し、正しい思い正しい知識が激減し、典型なる者はその行為や言葉に異常さが出てくるへ。彼等には幻覚や幻聴が発生し、きちがいじみた心となり、自ずからを高く見て、人を人とも思わなくなり、人が見れば恐ろしくなり、これを遠ざけるようになる。
(6) 悪い気持ちを増長させる
債主たちは報いを受ける者たちのマイナス面の性格を引き伸ばすのであり、報いを受ける者の性格の最も悪い部分を増長し拡張するのであり、それはいつもはしない不良なる気持ちを増強し拡大するのであり、報いを受ける者の内なる環境・外との環境が迅速に弱化し、不正常なる及び不健康なる生活が習慣となるのであり、此の段階で段々とその表現が明らかとなり、かつこれを克服しがたい。
例えば不良なる睡眠の習慣、不良なる飲食の習慣、不良なる嗜好、思想はますます変わり困難となる。これらの現象の背後には債主の支持とその障害とがあり、その性格を変えるのはとても困難となる。
(7) 健康を落とさせる
冤親債主が正式に全面的に報いを展開する前の注意をうながすこの期間中で、いつもいつもまず先にその生気を奪うのであり、それは気がめぐれば血もめぐり、気血が調和して健康となるのであり、もしもその生気を失えば即ち血もとどこおり、抵抗力も激減するのであるから、それで報いを受ける者の生気も段々と奪われて、報いを受ける者は即ち各種の精神が疲れが出現し、精力も支えきれず、容易に疲労し、神経は衰弱し、不眠で夢を多く見る等々の各種の悪い体質の状態となり、各種のわからない病痛、病院で検査しても症状がわからない各種の奇怪なる疾病、この種の現象が時には報いを受ける者の心身に多年にわたりまとわりつき、最後にはそれが実症となり、正式にその報いが展開されるのである。
(8) そば、脇のごく近くにいる人を攻撃する
冤親債主が注意をうながすこの期間内に、ある時この債主達はいつもいつもそば・脇を攻撃する方法で以て報いを受ける者に警告するのである。それらはいつも報いを受ける者の最も関心のある人の身にマイナス面の影響力を及ぼす。これらの人に霊現象や意外なる事件を起こし通し、及びその性格が突発的に変わった等々の現象を起こして警告を示すのであり、警告の期間が比較的長い事例中では、よく家庭がめちゃくちゃとなり家運が大いに傾くものである。
(9) 意外な事件の発生
冤親債主はまた軽く先に目をさまさせようと警告などがある。それは立ち所に正式に重大なる債務を執行するとの予告であったりする。常には報いを受ける者の本人あるいはその家族に大なり小なりの意外なる事が発生する。それは軽い車事故であったり、故なくしてけつまずいたりころんだり、皮膚が傷ついたり、少し流血したり、物が壊れる等々の意外な事件が発生する。
(10) 逆境を作り志しを奪う
冤報債主は隠れた力を使い、報いを受ける者に逆境を作りあげ、報いを受ける者の信心や志気を打撃し、その意思をくじけさせる。報いを受ける者は短期内に二度三度と重大なる不運なる事件に遭遇し、ある者は諸々の事が順調に行かなくなり、外から威圧や押しつぶされたり、無実の罪をきせられたり、やり切れなくなったりと報いを受ける者の心に、厳重なる打撃を与え、その意思は崩壊し、我慢の限界を越え、間違った判断や計画及び行動を起こさせ、続けて因果応報が実現されるのである。
(11) 悪境があきらかとなる
報いを受ける者は予警する期間内に体の場と体内の陽気が迅速に減弱し、陰気が上昇して報いを受ける者の心身は容易に霊の世界に接近し、直接にその空間の客観的存在性がわかるようになるものであり、報いを受ける者はいつもは絶対にこれらの事を信じはしないが、しかしいったんこの負の境地の状態に進入すると、ある奇怪なる出来事にでくわす。
目の前に隠れた物が見られるようになり、あるようなないような景象、時に目の中に人や動物の形或いは黒影、これらの異形は大体すぐに見えなくなるものであり、精神を集中して再びはっきりと見ようとしても、それは出来ないてあろう。ある人は常々自分のかたわらに人や或いはその他のものがくっついて来ているのが感じ取れる無形の目が自分を離さずに見つめている事があったり、ある者は日中に毛が逆立ったり、たまたま恐ろしい霊の影を見たりする。
(12) 重罪なる前兆
ある人はなんらかの典型的的なるこれらの注意をうながす事の兆しがなくて、突然にそれは迅速に展開されて、報いを受ける者に予防させず、ある者は快速的に命を失い、ある者は一夜の間に財産をなくしたりする。冤親債主にはおよそ三種類があって、第一は比較的はっきりとしていて、報いを受けさせるのに自然の法則を守り、債の事ならば銭を返し、命にかかわる事ならば命でつぐない、報いを受ける者をさがし出すのは当然な事ではあるが、しかし彼等は無期限的に永遠に呪うような事は願わない。
第二は中間的な状態であり、報いの目的を遂げたいのであり、同時にまた和解の願望をも持っている。第三頬は恨み殺すの念深く、恨み骨の髄まで染み込んでいて、絶対にこの仇を遂げ、積年の恨みを晴らそうとする。この出現は常々非常に突然であり、かつ目的を遂げるまで止めようとは絶対にしない。
(13) 修行するも効果なし
修行者は高度に因縁・因果かというものを重視する。修行を行ない始めの時、業力が未だ展開していなければ、その効果は定めし早く出るであろう。一般人は根本的に自分の罪業の深く重い事など承認したくなく、自分とは関係ない事だと勝手に思い込み、人生の日程にこの業を消すなどとは主動的には動かない。或る者はこれらの事をぞんざいにする。
この類の修行者は修するに反して多くの煩わしい事が出て来るであろう。負の面の打撃性の反応も特別に多く、もしも修練しなければまだ穏やかではあるが、もしも修練し始めてより煩わしい事が多く出て来て、それに反してその行なう方法の霊験もまた鋭く減少されて、容易に信じる気持ちや正しい心を喪失し易い。
この修法は特製の黄紙で作った箱の中に疏文を入れて焼くものであり、ただ普通に疏文を唱えて焼くよりもその効果は大なると申す。またこれらの修法には長銭が使われる。 → 長銭について