使魂手記(1)

 使魂して或る山の頂上にいて周りの景色を見渡していた所、そこで大天狗と出くわした。それはよく絵にあるような大天狗であって、私を一目見るなり急に地面に座りハハアーッといった感じで、よく水戸黄門にあるように印籠を一度出すと皆がかしずくといった感じの状態であった。私は別に何とも言わなかった。そしてしばらくすると大天狗と共に小天狗、十人位であろうか空に飛び去った。そのスピードは余り速くはなく、猟銃で狙って当たるようではあった。

 後日或る霊山の下の深い淵のあたりが景色良く、それよりその崖をゆっくりと上に上昇して行ったり、眼下に山の上を飛行して行き、ふと天狗さんの事を思うと、すぐに「用事がある時にはいつでもすぐにかけつけると」との霊言が聞こえた。また後日この天狗さんと空中での対決の練習をした。私の飛ぶスピードは余りにも速く、また私が剣及び雷を繰り出すので、天狗さんは防戦一方であった。当然天狗さんには当てなかった。
 又或る日の事、山の上の広場で、私が正面に立ちその脇にはこの大天狗がいて、その前には縦に並んだ天狗たちがいて、総勢百人位はいたであろうか、私はそこで「悪に立ち向かおう」と言って、みんなと共に右手の拳をオーと言いながら突き上げた。ある時、剣仙の飛剣の威力を試してみたいと思い、空中に飛び浮かび身に帯びた剣を取り出した。空中に放ってもその威力はわからないので、私は山を見下ろす空中に立って、その山にある大木に向かって剣を放った。その木はバキーッと大きな音を立ててふっ飛んだ。その剣は自然と元に戻って来た。

 海や流れる川でも私は何も思わなくても見つめると、その川がどんなに濁っていても、自然にその川の中が良く見えるのであったが、その大きな流れる川であっても、消えろと少し思うだけでその部分が消えてなくなり川底が見えた。崖の下の海も同じでそこが消えて海の底が見えた。海全部を消す事はさすがに海は大きいので、そこで空中に浮かび消したいと思う部分全部が円形に大きく消えて海の底が見えた。
 十代の頃は物を消すのに念力を込めて必死にやったが、今はほんの少し思うだけでそうなるようになった。海仙界にも入った事がある。そこは華やかな世界であり、誰も私をとがめる者はなく、当たり前のように進んで行った。入るとすれば海仙界か天上の神仙界が良いだろう。地仙界はつまらない。もっとも皆さんが修行して行ければの話しではあるが?

 東京の自宅に行こうと使魂してすぐに着いた。電車道を渡った所より歩行して行こうと思い、普段通りに地面に足を着いて歩こうとしたが、足が重くて歩けない。よく考えると私の体は地面より少し上の宙に浮いており、だから足が着かなかった。そして凄いスピードで歩けた。それより壁を突き抜けて家の中へと入った。水位先生が書いておられるが、その界に入るとその上空を飛行する事は許されず、尊い神であっても歩行するとあるが、これは人間が地面を歩くように地面に足が着いて歩くのでほなく、地面より少し上の宙を歩いて行かれるのであり、そのスピードも又速い。

 神集岳を外より見た事があり、その時私は神集岳を斜め上の空中より見下ろしていた。神集岳には海があるが、その海は果てしなく続く海であり、その海の水は押し寄せては引き、生きた海であり、お城の水のように動かない水ではなかった。そして入る目標となる大きな丸いトンネルがあり、そこより入って行くと神集岳の展望が開けるのであった。
 水位先生はよくよく几帳面なお方だと思う。それは行った日やどの場所かもきちんと日誌に書いておられるからだ。私はその点無頓着である。