天師派入門記
台湾に行き出してまもない頃、私は中華民国道教会を訪ねた。それは文昌路にあった。信義路三段よりひとつはずれた所である。(現在では同じ台北市の南京東路五段に移っている。)
ビルの三階に上るとそこが道教会の事務所になっていた。そこに居られた秘書長である張檉氏と知り合いになり、そこで六十三代目の張天師である張恩薄氏が黄布に墨で以て書かれた二枚の大符を記念にと頂いた。これは今でも拙宅の客間にかかげている。
そして張氏より陳穏中氏を紹介して頂いた。陳氏は台北より南の永和に住んでおられた。台北市の南にある中正橋を越えるとそこは永和で、永和路より安楽路に至ってそのバスの終点で降りる。陳氏はそこで「全真観」という廟を持って居られ、全真教についての何種類もの本を自分で出して居られた。陳氏は道教会の常務理事でもあられた。
ある時、陳氏に何日の何時にここに来なさいと言われて約束の日時に行った所、道服のような青い服を着たご老人が一人来て私の為に拝師の儀式を行ってくれた。その人は道教会の最長老である趙家焯氏であった。当時は六十三代目の張天師が亡くなった後で、まだ六十四代目が選ばれれていない時期であったが、趙氏は天師派の実質のナンバー1の一人であり、立法委員(国会議員)でもあった。
趙氏はまた丹道派でも有名な人であり、そこで私を一人室に招き、丹道の口伝の伝授があった。そして道教のお経の本とレコード二枚とを頂いた。趙氏は正一教の天師派の人であり、このお経は廟や壇などに使われるもので、現在では発行していなく正統なる経典の本で貴重なる物である。
趙氏に私が符呪を習いたいと申し出ると、浙江省出身の道士である顔春江氏を紹介して下さった。顔氏も張天師派の人で、子供の頃より家業として親より受け継いだとか。大陸から持って来た色々な道具・法具を所持して居られた。台湾ではかなりの廟があり顔氏は数人一組となっていつも廟に仕事に行って居られた。お経を唱えながら法具を使って音楽を演奏するのである。
ある時、顔氏よりいつの日にどこそこの廟に行くので来なさいと言われ、その廟に行ってみた。そこで私は彼より「自分の弟子である」と皆に紹介され、その現場をつぶさに見る事が出来た。また、食事時にはみんなと一緒に食事をよばれたりした事が幾度もあった。顔氏の休みの時に私が尋ねて行き、多くの事を教わる事が出来た次第である。
全真観の入口
全真観の御神壇(祀られているのは三清尊、左より太清道徳天尊、玉清元始天尊、上清霊寶天尊)