入門のきっかけとなった体験

 私が宮地水位派の玄門(仙門)に入ったのは二十代前半の頃である。十八歳位の時に、あるきっかけで日本古来より伝わる鎮魂法・念力法の修法を行い、その時に超能力の不思議さに魅了されてしまったのである。この時、世の中にこんなに不思議な事があっていいのだろうかと思う程に、私の人生観は一大転換をしてしまった。
 この鎮魂法の修法は、四段階に分かれており、私は第一段階を修法していた。修法は正座にて座り、手は鎮魂印を結び、観想し呼吸法を行い、無念無想の精神状態に入るのである。すると瞼の裏に、雲の様なものがたなびき、光が波のように何度も何度も押し寄せてくる。

 一週間位たった頃であろうか、半眼にて座っている前方には椅子が有るのだが、その椅子の脚が消えていた。これにはビックリした。この時より、物に意識を集中すると、何秒間か対象物を消すことが出来るようになった。昼間であろうが、お構いなしに「消える」と思えば消えて無くなっていた。

 またこの年、祖父が亡くなったが、夜寝ているとこの祖父の顔だけが見え、近付くにつれ大きくなり、目の前に来たのでビックリして飛び起きた事があった。
 その頃より夢をカラーで見るようになり、ある時こんな夢を見たことがあった。土手の前に奇麗な小さな湖があり、それに飛び込むと、龍のようなものが出て来て、これに打ち上げられたりした。これを何回も繰り返しているうちに、ふと見ると自分は洞の前の所の地面に流れ着いていた。そこには一人の御老人がいて、私に巻物を授けたのである。またある時は金色に輝く金龍を夢見たり、この世の景色ではない霊境の山河や虫を見たり、半年後または一年後などに起こる出来事を前もって夢で見たりしていた。

 冬の夜、布団を頭までかぶって寝ていたところ、部屋の天井が見えてきたり、別の日に真っ暗な自分の部屋に入ると、直径30センチ位の光が急に出て来て、何秒か続いて消えたりした。トイレに行くと柱に手の指だけが見えたので、人がいると思ってジーッと待っていたが、余りにも遅いので見に行くと誰もいなかったこともあった。
 水槽の中で泳いでいる金魚をジーッと見て、「こっちに来い来い」と思っていると、こっちに引き寄せられるように来たり、蟻が歩いているのを見て、ふと「苦しめ」と思うと急に苦しみだしたので驚いたことがある。更に、家に向かって「動け」と思うとグラグラと動き出したのである。近所の家の人は、私の家だけが毎日地震みたいに動いていて気味悪いと言っていた。雲の動きを止めたり、昼間を一瞬暗闇にしたことがあったが、さすがに長くは出来なかった。何せ急に真っ暗となったら世の中危ないであろう。

 この状態になる前より、頭が締め付けられる感じがしたりして、それが段々と内部に行き、ついには頭の中の泥丸(霊台とも称する)額の奥の入った所より、ほんのチョット思うだけで、すぐにこの力が出るようになった。
 その当時より自分の意識を鎮め精神を統一するとすぐに景色が見え、それが丁度映画を見ているような感じで動いているのであった。またその当時は護身の法を知らなかったので、よく金縛りに遭ったりしていた。

 やがて自分でも恐ろしくなって、それより止めてしまったが、それらがきっかけとなり、日本の霊能者とかをいろいろ尋ね、本も片っぱしから買い集めて知識を増やしていった。その後、宮地水位派神仙道に入門し、本格的なる仙道を学ぶようになったのである。
 また、これを契機に霊術や占術に興味が集中し、更に深く追求するため東南アジアまで足を延ばし始めた。