最初の台湾渡航記

 私が東南アジアに行きだしたのは二十五歳位の時であったが、その頃より占いに興味をもっていて、日本で中国・台湾では占術が超一流だという誇大広告を真に受けて、また奇門遁甲では日本一だという研究家の本を見たりして、台湾に行こうと決意したのである。
 その時私は会社に就職をしていた訳だが、台北の松山飛行場よりタクシーで真っ先に仙学出版社として有名な真善美出版社に向かった。旅行カバンを持ったままで、そこにある本をいろいろ見たりしていると、一人の人物がタクシーより降りて出版社の中に入ってきた。向こうが中国語で話かけてきたので、かつて旅行ガイドで覚えた不正確なる中国語で「私は日本人です」と答えると、「いやー、あなたも日本人か」と言う。この人物が仙人シリーズの著者T氏である。私よりも一足だけ遅い飛行機の便で東京より到着したのであった。彼は以前から言葉の研究とかで台湾には何度も来ていたらしい。しかし、仙道については今回が初めてであり、どこにどういう人がいるとか、どういう本がよいかなどを、私がアドバイスした。

 彼の目的と私の目的とが同じなので、行動を共にすることとなった。現地の本屋の主人である宋今人氏に仙学のさまざまな人物を紹介してもらい、その夜は第一に謝元輔氏(本名は謝循貫)を尋ねた。謝氏は師範大学の生物学教授であり、我々は和平東路二段と復興南路の四つ角にある大学宿舎にお尋ねしたのであった。
 謝氏は我々二人をタクシーに乗せて同じ和平東路一段と杭州南路の境にある旅社へと連れて行ってくれた。謝氏は日本留学をしたことがあるので日本語はペラペラであり、私は仙道の事とか、私の目的を打ち明けたのである。すると明日、風水の先生の所に連れて行くと言う。それが日本の一部の人達の間に知られている中国堪輿学会の曽子南氏のお宅であり、杭州南路にあった。私はその当時中国語は全くダメで、謝氏やT氏が通訳をしてくれた。

 後に知った事であるが、謝元輔氏は中国堪輿学会の理事の一人であった。どうりで曽子南氏の我々に対する待遇が良かった訳である。そこで無償之寶と称する「三元地理風水講義」、「三元択日講義」とを見せて頂いた。そして「それならば」と心を決め、そこに祭られている楊救貧仙師の前で拝師をして、この二書及び「三元奇門遁甲講義」、「三元奇門遁甲万年暦」とを購入した。尚、数年後、謝氏からもこの三元地理風水及び三元択日講義の本を頂いている。

 我々は杭州南路にあった杭州大飯店に移り住み、いつだったかの夜、二人で許進忠氏のお宅を訪問した事があった。そこのホテルから車に乗って行ったのだが、運転手も彼の家を探すのには苦労した。その時、許氏は在宅で、彼の部屋である二階へと案内してくれ、そこで我々二人は許氏に仙道の事について色々と質問をしたのであった。

 T氏と私は、日本で占いをやっている人達から少しは知られている黄耀徳氏を訪問した事がある。彼は台北の広州街に住んでおられた。台湾の人で、日本語はペラペラであった。だから中国語の出来ない日本の占い師が彼の所によく来るらしい。黄氏は三冊の符咒の本を出されており、中には掌心雷(五雷法)の事が書かれていたのでお伺いすると、それは古書に書かれていたのを載せているだけでわからないとの事であった。また、そこで骨董の八卦銭及び正徳通宝銭も売っていたのでこれらも購入した。T氏は神様とかいったものは好んでいなかったようで、これらは買わなかった。
 そして、そこに「地理人天共寶」と題された本が置かれていた。それは分厚い本で、古書を色々と集めて一冊の本とした物であった。その本の最後に著者の連絡先が載っていたが、それは著者の住所ではなく、私書箱しか書いていなかった。黄氏にどうすればいいのかと聞くと、手紙を出せば良いとの事であったので、その本をも買った。これが即ち我が師、陳老師と知り合うキッカケとなったものであった。

 また、T氏と私は桃園の大渓にいる雲遊子を訪問した事がある。台北から大渓まではかなりの距離であったので、台北駅の辺りより出ている大渓行きのバスに乗って行った。雲遊子は道號であり本名は簡氏である。この人も台湾の人で、日本語はペラペラであった。彼はお姉さんが営む家具店の手伝いをしていて、独身であった。
 我々は彼の部屋に通され、色々と仙学について質問をした。宮地神仙道の話や異境備忘録の本をお見せしたが、彼は興味を示さなかった。台北からは時々仙学に就いて教えを請いに来る人達がいるとの事であった。

 その後、T氏は「台北は物価が高いので竹東にいる知り合いの所に行く」と言った。私も一緒に行きたく思い、衝陽路を越えた重慶南路にある台湾銀行の前で落ち合う事にした。しかし、当日、私はあるお宅を訪問していて、そこの御夫妻がかなりハデな口ゲンカを始めたので、出るに出られず約束の時間にかなり遅れてしまった。待ち合わせ場所に行くとT氏は既にいなかった。大分待ってみたが彼は遂に現れなかった。
 その後、私は会社があるので、日本へ帰ったのであるが、T氏は二・三週間滞在していたらしい。

 T氏と離れてから一人となり、まだ時間があったので私は仙学で有名なる李楽俅氏を訪れた。李氏はもと台湾大学の教授であり、すでに定年退職していた。李氏には真善美出版社より出版された「仙学妙選・訪道語録」の著作があった。李氏の住居は私が泊まっていたホテルから歩いて十分行ける距離であった。彼等台湾大学の教授等の宿舎は和平東路一段にあり、古亭市場の中を通り過ぎて行くとある、ボロボロの木造の建物がそうであった。彼は独身であり、その部屋は古新聞だらけであった。当然、当時は会話はダメなので、字を書いては受け答えをしていた。(この宿舎は数年後に取り壊され、彼等は新しい建物に転居している。)

T氏からの直筆書簡を公開中 ⇒ T氏からの直筆書簡