使魂手記(2)
去年の辛卯年の十一月二十二日に夢中にて川丹先生が来られた。神様の命令で迎えに来たと言われ、そして明日に迎えに来ると申され、そして令牌を持って来るように申された。どの令牌とかは特に申されなかった。神界でも令牌を使うのであろう。
川丹先生は三十代の今で言う所のイケメンであり、昔の白い服装を着ておられた。背は一メートル七十位であり、言葉的には日本語ではあった。まさか川丹先生が来られるとは夢にも思っていなかった。神集岳にはおられる事はわかっていても、その存在ははるかに遠くと思ってはいた。皇居におられる天皇陛下みたいな存在であり、おられる事はわかっていても行かれないし又会えないものだ。実際に夢中であってからその存在は身近に感じられるようになった。
さて次の日に朝起きて何時来られるのかと気をもみ、腹が減ったので喫茶店にモーニングに行き、そして家に帰ってきて待っていても来られない。そこで王将に行き昼食をとり帰ってきたがまだ来られない。夜になって練功して汗だらけになり、この時に来られても困ると思った。そして夜食を食べてこの食事中に来られても困るし、そんなこんなでずーっと待っていても来ないので風呂に入った。この時に又急に来られても困るしと思った。
待てども来られないのであれは只の夢かなと思ったが、よくよく考えれば私にたっぷりな時間があるのは寝た時だけなので寝る事にした。はたして川丹先生に伴われて夢中で脱魂して神集岳神界に入った。その大きな部屋には川丹先生以外に仙官数人がおられた。その部署は術を司どる所らしく、私はその指導を受けた。
私は今まで茅山以外に数多くの門派の符呪を会得したり、又長年月に渡り符呪の古書を集めた。それらの中では人間界とは気線がとだえた物もあっただろうが、これらそれらの門派・符呪の物は例えばあちこちの支店と関係が出来てはいたが、私が神集岳に入ったからには神集岳の本店直通となったわけである。
十二月二十一日太上老君を夢見る。この日の一日前に三時に会いに来るとの連絡は夢中にて又あった。どうせ又夜に寝てからだろうと思いその日は少し早く寝た。はたして夢中に太上老君が来られてお会いし、お言葉をいただいた。太上老君は非常に威厳のある神様であった。別に威張っているとかそんなのではない、人間世界ではどんなえらい人を見ても何とも思わない。
それより眼の前に一冊の本が出てきて、見ていくたびにそのページは自然とめくられて行った。その文は平仮名や片仮名で書かれた物ではなく、漢文で書かれた物であり、今の中国文でもなかった。当然夢中であるから筆記出来ないので忘れるが、しかし魂は見て憶えているので、別にその通りに行なわなくても私の場合は思っただけでそれが出来るのであり、別に術は要らない。しかし飛行法を教えてもらおうとお尋ねしてもだめであった。この飛行法は肉体のまま空を飛ぶ法であり、人口衛星が世の中を監視しているこの世の中では無理なのか。
一月二十三日、旧暦の一月一日に使魂して四国の大瀧に入った。真夜中ではあるが私の眼は昼間と同じ明るさで、その瀧の前に空中に浮いて立っていて、そしてその岩の中に入ろうとしたが入れない。普通便魂・出神した私の神仙の体は何でも透き通って入る事が出来るのだが、そこは結界、バリアが張られているようで入れない。
そこでその瀧に向かって私の身分を申し上げた。するとすぐその瀧の岩壁は左右に自動ドアのように開き洞窟が見えた。それに入るとその洞窟は広く奥深かった。そこでその大瀧の神様、即ち非常にお若い男女の人形の神様にお会いした。私の事は他の神々や神仙から連絡が来ているらしく知っておられた。