鎮魂法体験談(会員S)

年月日

鎮魂法体験談 S君

 先生の鎮魂法の存在は以前から知っていましたが、今まで教えてもらわずにいました。そうこうしているうちに、今回先生から勧められてやってみる事にしました。
 この法は霊が見える事があるが、興味をかれてはいけないと事前に注意を頂きました。鎮魂法は四段階に分かれており、一段階をやりました。

 最初は十分から二十分程度の時間でしたが、思うとおりに鎮魂出来ず、先生に聞いてみるとそれでは短いと言われたので、四十分に増加してみると、無になって鎮魂状態に入りやすくなりました。印を組んで正座していると気が集まる感覚があります。特に頭に気が集まりやすいのか気が収束する感じがあります。

 やり始めて何日かしてから修法中に部屋に気配がして霊がいましたが、先生に言われた通りに心を動かさないようにしました。終わってから気配があるように感じたので、案の状その後ラップ音が部屋中から何度もするようになりました。

 後日、先生から九字切りは必ずやりなさいと言われたので、その通りにするとそのような現象はなくなりました。(ずっと終わった後に九字切りをしていましたが、そもそも霊を来させない必要があるので、修法前に九字切りをしないといけません)。
 浄化されていない祖先の霊が来ることもあるので、幽魂安鎖秘詞も唱えるようにとの事なので合わせて唱えています。

 この鎮魂法は念力に作用するのか、前より念力が強まったような気がします。気功の修練も大事ですがこういった法も合わせて修練する事も大事だと思います。

 胎息法に関しては数年前に教えてもらってからずっとやっていたので、今回効果が出やすかったのかなと思いました。
 改めて竹川先生と道統の神祇師仙達に感謝御礼申し上げます。

竹川註

 この鎮魂を行なうには正座が必要であり、彼・S君はイスに座ってやってもいいですかと最初聞かれたが、当然ダメであり、日本古来の正座で行なわなければならないと申した。
 現代ではなかなかこの正座をやる機会がないであろう。だからいつも家の中で正座の座り方をして足を鍛えなければいけなく、最低四十分は出来なければいけない。出来たら一時間だ。しかし馬歩の訓練をしている者にとってはたやすい。

 鎮魂の前には必ず九字切りを行なう必要があり、これは護身のためであり、この鎮魂は幽冥の世界につながる物であり、霊の世界では悪魔及び邪神・邪霊、悪霊や不浄化霊どもがわんさとおり、その為にバリアーを張らなければいけなく、だから鎮魂のあとに九字を切っても意味がない。

 以前に某本屋の主でネットで私のウソの悪ロの記事ばかりを書いていたのがいたが、ある時出神して彼の住んでいる所に行った所、彼は九字を切っていた。その九字は全然その力がなく、空中にホンの少しのバリアーが出ていたが、私は力で以てそのバリアーを相手にもどして体を包み込んでその体をがんじがらめにした。こんな九字など普通の霊でもたやすく突破出来る程度だ。
 彼は神仙道からすでに何年も離れており、気線が途絶えていたのであった。だから神仙道の資料を手に入れて、自分でやったとしても、それらには神仙道からの気線がないので本来の効果はない。

 この鎮魂をやると色々の物が見えたりしこれは霊視と申し、又声が聞こえたりしこれは霊聴と申すが、要するに見えたり聞こえたりしてもそれにとらわれすぎてはだめであり、意識を丹田に置いて客観的に見ている感じであります。
 法術で九天玄女耳報法があり、呪文を唱えて符を焼き紙銭を焼くと、ある時より声が聞こえてくるがそれに反応、応えてはだめであり、凶である。ある時期より契約を結べばそれで耳報法が成功する。耳報法はこれらは声が聞こえると言うよりも、自分の心に響いて来るテレパシー的な感じである。

 鎮魂をやると霊の世界につながるので浄化されていないご先祖の霊や諸々の霊が来る事もあるので幽魂安鎮秘詞を活用する必要があり、この鎮魂では目を半眼に開いて行なうが、その半眼には光が現れ丁度サーチライトのように照らされ来ては去り、又来ては去りの状態であり、又数々の色の光が出現する。
 ある時その出た光が紫だったりする時もある。その時の心の状態などにより、その光の色は変化する。鎮魂には当然精神統一が必要であり、自分を無にする必要があり、自我及び雑念があると神人合一には至れない。

 そのためには胎息法を教えているが、これは一種の呼吸法であり、無我の境地に至りやすい物であり、周りと自分とが隔絶された感じとなるのであり、普通だとなかなかこの無我の境地には至らない物である。禅をやっている人でも、この静座中に於いて色々な物が見えてきる場合があるが、それらは魔境であると申す。
 それを真剣に見てしまうとその魔にとりつかれるのであり、人生が狂う事になる。

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