修行体験記(会員B)

 竹川先生のもとで修行して約二年半が経ちましたので、修練中に気づいた事などを書いてゆきたいと思います。

 一般約に内家拳は力を抜く、仙道では運気をするための意識の集中と持続、法術では祈りの際の神々に対して意識を開放する等の基本的な方法がありますが、多くの修行者が中々思うような成果が上がらないのは基礎である気功の修練が足りない為だと思います。これまで先生に多くの事を学びましたが、私自身どれほど修練に励んだかというと、仕事・精神的な悩みなど色々と時間・条件の制約がありまして、一日中修練が出来るという訳ではなく、時間を見つけては思いついたものをその都度行うということで、決して満足のいく修錬度とはほど遠いものでした。

 しかしそれにしては技・精神・意識というものが向上・拡大・支配というか、病弱な肥田春充が改造されたように感じられるところがありました。その基となるのは必ず最低一日一回は武当気功を行うというごく当然のことを行った為と思われます。縦鶴拳で力を抜けと先生から注意を受けても当初は抜けないもので、気功で体の内部を充実させて無駄な筋力を抜くことが出来るものだと実感しました。この辺から筋力ではなく気で打つという感覚が脱けながら解ってくるものだと思われます。また現在の自分の実力というものが冷静に解ってくると思います。

 内部の気の充実感が更に強まり、筋肉で技を行う感覚がもっと弱まることによって俗にいう発勁・一打必倒が使え、防衛に際しては内部の充実した気が剛に対し柔で自然に対応出来るものと思われます。更に徹底して修練するのみです。昔日の達人が一日中このような修練により神技を身につけられたのも納得がいきます。

 仙道に関しても原理は同じで基礎となる武当気功の修練を行うと気の集中・運気が容易に行え、少し意識を体内に向けることにより、背骨及び各関竅に気が充実し、冬でも体が熱くなってきます。現在クンダリーニ仙道第三段階を修練していますが、これにより気の感覚が更に強くなり、第六感が開いてくるような感じがします。

 私の場合は霊感事には全く無縁でしたが、それにより幽霊を何回か見たり、話をしたことがあります。幻覚かもしれないと思いましたが同じ場所で二回見たこともありました。しかし不思議なもので恐怖心は全くなく、その霊が自分に取り憑きたいと言ってきましたので勝手にしたら、という感じでしたが、霊が背中に回って来て取り憑こうとした瞬間、消えてしまいました。消えたというより弾き飛ばしたという感覚でした。

 明くる日、会社で霊感の強い人に見てもらったところ、いろんな守護霊がいて力が強いので霊が憑けないのだと言われました。前のレポートにも書きましたが六甲壇を修練して気功の力が強くなりましたが、その逆に気功の修練をしっかり行うことによって神の力も強くなってゆくようです。つまり修行者のレベルに応じて神々の力も変わってくるのではないかと感じました。

 法術の体験はこのくらいですが、使い方によっては身を滅ぼすような事もあると思うので何かの正しい信仰心と自分の奥深くにあるものの声を聞くことが大切だと思います。

 次回は万敵法功の完成に努力したいと思ってます。とにかく大切な事は、教わった事を習慣として集中して続ける事だと思います。

関連する指導内容