手箱神山開山由来記

年月日

神仙道総裁 清水南岳 謹記

○手箱山は土佐国吾川郡に屹立する高山で、伊予の石槌山と相並ぶ四国二高峯の一であり、雲霧にとざされた六千百三十五尺の山頂には大山祇おほやまづみ神社を始め十三社が祭られてある神山でありますが、此手箱山の神秘境は万延元年の夏、高知潮江天満宮の神官宮地常磐ときは先生により開山されたのであります。

○開山者宮地常磐先生は国学者鹿持雅澄の高弟で、和漢の学に通ぜられた学者でありますが、別名を布留部ふるべと名乗られ、当時「土佐の布留部」と云へば全国の神職で知らぬ者なしと調はれた大霊感者で、難行苦行の末遂に神界(神の世界) に通ぜられ、また天狗界へは自由に出入されて荒天狗達を下僕の如く使はれたほどで、遂には空中を飛び、海上を歩行する法力にも達し、門人達に秘かに其法術を授けんとしたため大山祇神より其術を差止められたといふ記録が残って居ります。先生が斯る大霊感者となられたのは、神学を究められる一方、十年に亘る非常な猛修行を積まれた結果で、其子宮地水位先生の手記によりますと

 我父常磐大人三十七歳の正月元旦より武術を止め、毎夜の刻(今の午前零時)より起きて寒暖霜雪の間も休む事なく、地上に立ちて天を拝し、次に神前に向ひ祈白する事の刻(午前十時)にして終り、さて朝膳を食す。
 夕は日暮より五ツ時(午后八時)迄に及ぶ。我れ父の行の有様を見るに、雪の夜などは庭前の石山に坐して祭服にふりかかる雪は氷となり、之を握れば服と共に凍りたり。
 されども撓まず、手を組み空に向ひて一心に祈白すること二刻(四時間)ばかりにして家に入り、神前に向ひて又礼拝すること十年を積み、漸く大山祇神に拝謁するを得て益々魂を凝らし、遂に海神及び諸神に通ずることをも得、また天狗界の者をも使ふ事を得て行くほどに畏こくも大山祇神の御依頼によりて土佐国吾川郡安居村の高山手箱山を開山して大山祇神を鎮祭し奉り、衆人を集へて大鎮三十六尋を此山に掛けたり。(以下略)
とあり、日々十数時間に及ぶ苦行を怠ることなく十年に亘るといふ事は到底常人には耐えられない精進でありますが、斯る猛修行の結型果遂に神界に通じ、大山祇神の神命を受けて手箱山に登り、山頂の現在大山祇神社の存する地点に鉄のほこを立てられて仮りの神座とせられたのが万延元年六月十五日で、其のち文久三年の同月同日此矛を抜いて大山祇神社を鎮祀され、更に頂上に点在する大磐岩を神座とする十二社をも鎮祀されたのが開山の来歴であります。

○この開山にまつはる種々の奇談が伝へられてありますが、その一つとして、今でこそ山上も開けて登拝も容易となって居りますが、当初は非常な嶮峻で、特に頂上に近い(今の鎖がけ)辺りの大絶壁は一面の蔓や青苔に蔽はれ、足場手がかりとて無い有様で、門人達や多勢の信徒に引上げさせた三十六尋の鉄鎖も、さて何処にどうして掛くべきかと衆みな大絶壁を仰いでハタと当惑するのみでありましたが、この時信徒等について来ていた山麓の十二、三才の少年(此鎖を作った近村の鍛冶屋の子供と謂ふ)が突然神がかりの状態となり、何百貫といふ鉄鎮の端をかついで猿の如くに此大絶壁を一気に駈け登って頂上の突岩に掛けたので流石剛胆の常磐先生も暫し啞然とされたが、衆また目のあたりに此奇蹟を見て愈よ敬神の念を深めたと当時の「手箱山鎮祀記」といふ記録に誌されてあります。

○山上十三社は後に明治元年太政官布告による神祇省の神社明細帳にも登録され、大山祇神社は郷社の社格となりましたが、開山者常磐先生の手記に基づき十三社の御祭神名と鎮祀の順序を左に列記いたしますと、鉄鎖を登って左へ順路をとって巡れば

第一、八王子社 天照大御神の八咫やさかの曲玉に化生せるアメノオシホミのみこと、アメノホヒノ命、アマツヒコネノ命、イクツヒコネノ命、クマノクスビノ命の五神、須佐之男すさのをの命の十拳とつかの剣に化生せるタギリ姫命、サヨリ姫命、タギツ姫命の三女神、合せて八神を祭る。

第二、木花開耶姫このはなさくやひめ神社 御祭神は大山祇神の御女みむすめであります。

第三、天照皇大神社 申す迄もなく皇祖天照大御神が御祭神であらせられます。アマテラススメオホミカミノミヤシロとよむ。

第四、豊受大神社 トヨウケオホカミノミヤシロとよむ。御祭神は豊受大神。

第五、天満宮 御祭神は天満大神。

第六、大名持おほなもち神、少彦名すくなひこな神、事代主ことしろぬし神社 三神合祭の社であります。

第七、猿田彦神社 サルタヒコノ神を祭る。

第八、大綿積神社 海神オホワダツミノ神を祭る。

第九、大山祇神社 御本社で一番奥にあり、御祭神オホヤマヅミノ神は最高の山神であります。

此の御本社より右へ順路を辿る。

第十、常磐ときは堅磐かきは神社 開山者宮地常磐先生の神霊の鎮る社で、手箱山鎮祀記には先生自ら「鎮魂八神ノ社ト唱フ、然レドモ実ハ我霊魂ヲ鎮ムル処ナリ」と記別されてあります。

第十一、岩長姫大市姫神社 御祭神イワナガ姫神オホイチ姫神ともに大山祇神の御女みむすめであります。

第十二、軻遇突智かぐつち神社 御祭神カグツチノ神は火神であります。

第十三、大山咋おほやまくひ神社 御祭神オホヤマクヒノ神は大年神の御子で、山嶺を分掌される山神であります。

○手箱山は二峯になって居り、以上十三社の鎮ります神域(神仙界)は高峯の方で、他の一方と区別する為筒城つつじゃう山(また筒上山とも書く)と称せられています。他の一峯の方は天狗界であると伝へられ、宮地水位先生は「天狗住みて、夜に入れば山上の南方にて種々の話し声の聞ゆるなり」と備忘録に其体験を誌されて居ります。