茅山法術―役狐の術についてー

年月日

「日本神學」昭和五十九年四月号より

 道友である顧紀卿氏の書かれた道教雑誌の中に、真人実事として盗丹韻事(風流な事)というのがあるが、それはどういうのかと申すと、それは山東籍の道師である人が、台湾に来る前に、山東にある著名な嶗山で修道をした。

 彼には同門の師弟(後輩)に李君というのがいた。ある日、彼が静座をしている時、朦朧とした中に一人のなまめかしい女性が歩いてくるのが見えて、彼の眉心(両眉の間、眉間の事)を一口吸取った。噛まれて少しの痛みがあったので、座を下って鏡で見てみると、眉間に一筋の血の跡があったのだ。

 彼は心の中で疑惑一杯となり、祖師を訪れ教えを乞うた。「良くないぞ。丹が盗まれてしまった。この人はもう修道出来ない」と、この祖師は急いで言った。

 李君も当然あわてて、どのようにしたらよいものかと祖師に尋ねると、祖師は少し考慮して方法を思いついたようであり、朱砂(中国の道士は朱砂を粉末にして水で溶き、それを言って霊符を書く)及び墨・紙・筆を準備して何枚かの霊符を書き、それらの符を焚いて召請をしてから、最後に遂に一匹の狐を召来することができた。小さなガラス瓶の中にいて、人と対答することができた。

 「この李君の丹はお前が盗んだのか」と、祖師が問う、瓶の中の狐は囁くように「そうです」と答えた。「お前は何で彼の丹を盗んだのか、それでよいのか、彼に返さないといけないのだぞ」と言うと狐曰く、「私は彼の丹を呑んでしまったので自分の丹と一緒になってしまい、丹を吐き出せば、私は立ちどころに死んでしまう」と、狐は畏る畏る実情を述べた。

 この祖師は心のやさしい人であったので、当然それに死を迫ることを好まず、「では、お前はどうするつもりか」と訊いた。

 子狐は少し考慮してから、「どう仕様もないので、それでは私は、彼に一生の間、おそばに仕えましょう」と答えた。

 祖師と李君とは相談してみたが、失った丹はもう戻らないので、それでよいということに相なった。
 子狐は瓶から跳び出して来た。
 すると、それは世に稀なる絶世の美女となって、李君に終生仕えたのである。

 神仙の眷属、人間の煙火を食せず、又、山海の珍味・宝石・黄金を好まず、且つ永遠に若くして、老衰することがない。李君のこの一段の遭遇は、凡俗の艶福に比べて、更に人を羨しがらせるものであった。

 茅山法術では、茅山封符煉妖異術というのがある。それは、未だ交尾していないメスの狐一匹を用意して、丁甲の日(暦にある六甲六丁の日)に、朱砂と酒とを調和してそれを狐に飲ませ、青竜剣で狐の心臓を取り、又、朱砂と心臓とを黄色の布に包んで小さな瓶(甕)の中に入れ、封をしてそこに封狐符一枚を貼り、六甲壇下に置く。狐の屍体は燃やす。

 朝晩、祭煉すること一年にして狐は形をし、二年にして精と成り、三年にして狐女と化する。咒祭の時、自ずと蓋を下のを破って出てくるようになり、白気が瓶の口より上って、それが美女と成り、それは神出鬼没である。これを茅山佐玄道人伝という。

 この話とは別に、茅山芭蕉艶神現形術というのがあり、この場合はバナナの樹の女神を出す方法である。

 日本の場合、九州の南部にでも行かないとバナナの樹がないので、この術は仲々使えないのだが、バナナが蕾を結んだ時、晩遅くバナナの樹の下に至って、線香・蝋燭に火をつけて、赤い糸七本を蕾にくくり、その端の一方を術者の寝室に引き入れて、引神符一枚につなぎ、枕の下に置いておき、人に知らしめず、術者はベッドの上に寝て引神咒を唱え続ける。

 すると、やがてバナナの樹の女神が姿を現してくるようになる。その神は艶麗にして、ベッドを共にすることと相なるのである。

 昭和26年3月15日発行の神仙道誌に、こういう記事がある。それは、私が師事する神仙道の当主である清水宗徳先生(故人、この記事が日本神學に掲載された当時は御存命されておられた)が書かれたもので、私がまだ二十歳時代で独身住まいの頃、河内国守口の寓居で異境の女性の来訪を受けたことがある。

 ホンの一~二分間の応待であったが、私はその時初夏の昼寝の後を、藤椅子に座って行雲流水の河内平野を眺めていたのであるが、そのとき突如として椽側に出現した異境の女性の美しさは、全く筆舌に尽くしがたいものがあった。

 師仙、水位先生の筆法を拝借すると、「其ノ美麗ナル、言語ノ及ブ処ニ非ズ」と叙すべきところであるが、恐れ入ったのはその気高さで、まさに神品とか神韻とか申すのは、このようなものであろうと思われた。

 それから後の半歳位は、人間の女性どもの気品のなさと、何とどなたもこなたも紛々たる卑賤の地臭を漂わしていることが、どうにも鼻持ちならぬ時が続いたのを憶えていると、神仙界の仙女に会われたことが書かれている。