紫龍仙について

年月日

 約二十年前の頃であろうか、その二月十五日の朝十時頃、朝食を食べている時に二人の客人が来た。前に家に電話連絡したらしいのではあるが、私は聞いていなかった。聞けば神仙道の古い道士であると言い、宮○と名乗った。客間に上がってもらい、宮○と名乗ったお人に対して、それは本名でありましょうと告げた。

 彼は大本や某宗教関係の本を出している出版社の神仙に関する数々の間違った記事を出している。彼は大○○○であり、これは彼のペンネームであり、本名は宮○であった。彼は見た感じでは古本屋のあるじと言った感じであり、とても神仙道や武術を本格的にやる人物には見えなかった。

 その別の一人の名前を聞くと中○と名乗った。本の名前は小○であり、鉄砲稲荷の宮司の娘と結婚してムコ養子にと入った。大○○○は偽仙の紫龍仙のおいであり、旧神仙道の分裂当時の状況を聞いてきたり、遠回しに資料の事をも尋ねてきた。

 先に伊豆にいる旧神仙道幹部であった石○氏に会ったらしく、そして高知に行くと言う、高知には三○なる元同じく幹部であった人物が居て、岡山の小○・宝塚の芝田の総大将となっていた。

 紫龍仙に関しては私は実際に彼に会った事がある。今の人はただ本だけを見てその人物を判断するしかないが、実際に会って話しをした体験者として報告しよう。
 私が二十代前半の頃、神仙道に入ってまもない頃、当時八幡神社に神主として奉仕していた浜○氏の紹介でその彼の住んでいた所及び大津の岡○氏の所で、この紫龍仙に二回ほど会った事があった。

 会った第一印象としては良くなかった。彼はカゼを引いて咳き込んでいるのにタバコをバカバカと吸っていた。彼はヘビースモーカであった。肉体のまま神仙界に入っていると言う人物が何でヘビースモーカなのか!神仙界でもしタバコに火をつけたのならば、すぐに神仙界から追い出されてしまうであろうが。

 彼は自称この渡辺大霊寿真は私に『神仙道の物は全部私の所から出た物で、私が清水君に教えた。水位先生のものは伝わっていないのだ。この唱え事は足りない、もっとある』とか言うのである。正直当時は半信半疑ではあった。

 後に私が清水斎主に認められ斎主にと言われ、御神殿には自由に出入りして、水位先生・方全先生伝承の物を御覧になって下さいと申され、始めて諸々の伝承物を見て、この紫龍仙の言っている事がウソだと確信されたのであります。

 この前に大阪の田辺に住んでおられた神仙道の古参の人で榎○さんがおられた。数回彼のお宅に行った事があり、彼は中医を研究しておられ、舌を見て判断しておられた。彼の奥さんは霊感があり、九星を本にしてそれより霊感を活用しておられた。

 お会いした当時、奥さんは私を一目見て、このお人はこういう神仙道の術とかをいらず、そのまま神に通じる事が出来るお人だと言われた。この奥さんの霊感はかなり当たると評判に成っているとの話しであった。

 当時私は西式の健康法で水を沢山呑み、そして体を左右に動かすと言う運動をやっていたが、榎○氏は私の舌を見て、体が冷えていると言われた。日本式のは何でもその体の局部だけを見るので、万人には当てはまらず、中国流の全身の経絡を考えた方が良い。

 この榎○氏に紫龍仙の事もお聞きした。すると「あの連中は逆の事を言う。なぐられてもなぐったと言うのであり、又不具者と言うのは健常人よりバカにされるので、健常人に認めてもらいたい為に何でもする。」これは当時の話しである。

 紫龍仙は耳が全然聞こえず、人とは書いてそれを対話手段としていた。紫龍仙には当時督脈・任脈等小周天の事についてお聞きしたが、彼はわからなかった。返答がなかったので不思議には思った。

 「修道点滴」と言う彼の伝記の本によると、師匠の師仙真君は人寿五十余歳頃より約三十年間は中国に居住されて修道されたとあるが、しかし中国の仙道では気を練る事が主体であり、日本流の断食とか水行とかはしない、第一滝行や水行が出来る所はほとんどなく、また普通にその流れる川の水も日本のようにきれいではない。

 紫龍仙も即ち渡辺大霊寿真と名乗っており、何で小周天の事がわからないであろうか!中国の仙道はともかく、武術に於いても督脈・任脈・小周天などと言っており、中国では常識的な物であります。照真秘流に関しても実川泰仙が即ち紫龍仙だと言っているがそうではない。『あれは仏教の人に盗られた。実際は私のだ』と言っていたが、それは日本に古くより伝わってきた物であると言うのが妥当だとうであろう。

 その説明では『戸沢火龍道人は仏仙界の仏仙で、龍玉天玄真君とは別仙人です。私に仏仙界の玄法を相伝せられたのは戸沢火龍道人ですが、思うに地仙クラスの方で、この地上に数百年生存しておられるお方ではないかと思うのである』とのっている。

 照真秘伝の中に「管霊狐くだぎつね魂魄駆役神道真伝経」があり、それには神仙北斗七曜星狐精招符、管霊狐如意神通之呪文、神仙道如意神通秘術とがあるが、これにのっている管霊狐魂魄招請憑封霊符を見ると、北斗七星・東斗五星・西斗四星・中斗三星・南斗六星の名前がのっているが、実にこれが間違っているのであり、仏仙界の御仁である人が何でこのようなミスをやるであろうか!恐らくは昔から伝わってきて、伝写のミスが起こった為であろうと感ずる。

 神仙通霊如意神通秘術を見ると、「万法帰宗」にみんなのっている霊符であり、一のは祭童耳報通仙符、二のは同じく、三のは邀舞仙女の仙霊符、四のはさつ石為金の如意符である。右手の刀印にて順次に空書するなりとのっていて、この霊符類も書いているのが間違っている所がある。数十年前にはこういった占いや術の古本などは多く売られていた。今では殆ど見かけないが!それより前では多くが町で売られていたであろう。

 明治の時代、国安普明と言う仙人が日本にいて特に有名であった。この人は江戸の末期、萬延元年、即ち1860年の生まれであり、萬延元年、文久一・二・三年、元治一年、慶應一・二・三年、そして次に明治が始まるのであります。明治は1868年から始まり、1911年にて終わり、次が大正が始まるのであり、1912年が大正であり、国安仙人は大正元年にてなくなった。五十三歳であった。

 ちなみに水位先生は江戸時代末期の嘉永五年、1853年生まれ、明治三十七年、1904年にてなくなった。水位先生よりも八年後に世の中に出てきたのが国安普明であった。この人も肉体のままで神仙界に出入りし、神通力自在であった。さまざまな行をして遂に神通自在を得たのは二十五歳の時である。

 空中飛行は、首を廻して右を見た時は八王子であって、左を見た時はもはや東京であったと極めて一瞬であった。又普明公は空中飛行について尊師に手を引かれて、二三歩歩くともう別世界へ入った物である。空行する時は先ず体を消して先方へ行きて体を現わすと云う。彼の事跡は「明道百年の歩み」と言う本に詳しく書かれている。

 紫龍仙も肉体のままで神仙界に出入りしていたと申すが、実にこのお人は何の神通力もない、ただの普通の人間であった。口だけで神仙界に行っていると言うのであり、水位先生や国安普明と比べてその違いは歴然であった。紫龍仙に大○○○は二代に渡って彼等は神仙道の伝書を盗んでいたのであるが、しかし彼等が手に入れたのは資料であって、決して神仙道の神髄ではない、つまりは口伝ではない。

 大○○○には当時あなたが本を出した中で、神仙道の伝書、説明がそのまま出されていると申すと、それは公開されている物であると申す。公開されている物と言っても、それは道士の人達に神仙道本部が伝書として渡して、誓約書を出してもらっている物であると申すと、いや公開されている物だからと言うのであった。本人は本部とは関係がない、ただの道士として立場であった。
 私はそのあつかましい言葉を聞いてケンカしそうになったが、中○がまずいと思ったのか止めにはいった。彼等が引上げると塩をバラまいた。

 大○○○の「神拝玄義」の本の中で、又勝手に神仙道の物を無断拝借している。それは神仙道第三伝にのっている「神仙界拝神印」であり、そっくりそのままのせている。又第一巻にある「玄府奇祝言」もそうであり、勝手にのせている。道術界ではそれぞれ気線という言葉があり、彼等はこの気線という言葉を完全に無視している。

 たとえば電話があるとしてちゃんと電話会社と契約をしていないと、その電話がつながらないのと同じてあり、神仙界・道術界では気線と言う言葉を非常に重要視する。ただその資料を手に入れて行なったとして、最初は効果があるようには見えるが、しかし長く成るに連れて色々な邪害が出て来るのであります。

 又紫龍仙の呪文とは自分で創作して作った物の中に、水位先生の呪文を入れて、その効果を出そうとしているのであり、つまりは偽作であります。太古神法の紙折りというのも又決して古い物ではなく、大体紙と言うのは中国から出た物であり、その時代もわりと新しい物であり、中国でも昔は木片に書いた物である。それから紙が出てきて中国で使われ、そして日本に入ってくるようになった。