大司命節は命運改訂の天機

年月日

拝啓 各位益々御勇健にて大司命節を迎へられ、愈々道念堅固に、志操練白の御起居を大慶に存じます。
 予て機会ある毎に屡説せる如く、大司命節(十月九日より十一月八日に至る一ヶ月間)は、顕幽両界に亘る万霊の幽政上の一大節にて、地上一切生類の元霊と仰ぐべき伊邪那岐大神の代命として、畏けれども東海大神仙王青真小童大君少名彦那大神、神集岳神界に於て司命の根本簿録を改定せられ、最終十一月八日には(神仙道本部に於ては十月九日に大司命祭前祭を、十一月八日に後祭を行ふ)其改定に本づき幽界にある諸霊は或は上界に昇遷され、或は下等の界に降謫され、或は其侭現住の境界に止るもあり、また結形の期満ちて宇宙の大霊に帰し去るもあり、又其顕世にあると幽世にあるとを問はず、仙階(真階)を有する道士等の進階・降等なども、臨時の場合を除き凡て此の大司命節中に決定さるる定めにて、実に万霊の出自帰属、進退集散去来等、其境遇に大変動ある重大時期で、たとへ神仙等と雖も此例に洩るることはないのでありまして、道士各位は特に此大司命節中は深く其言行を慎み、層一層修善積徳に心がけ、愈よ敬神求道の念を振起して司命神等の幽鑑に対(コタ)へ奉るべく期せられたいのでありまして、功・過紙一重の差が命運を左右することは、入学試験などで僅か一点の差が及落の境目となるのと同様であります。
(此機会に神仙道誌第五十三号及六十号所載の ”司命の秘機” を今一度精読深思していただきたいと存じます。)

 さて本日敬みて大司命前祭を奉仕し了り、唐突として筆を執りましたのは、我ら水位先生門流の道士として当然為すべくして既に二十年に垂んとする歳月を懈怠し来りし水位神社建立と、道縁ありて水位先生を師仙と仰ぎ奉るを得て、学道一に先生の御教導に倚信し、顕幽一貫其大神霊の傘下に修真生活を続行すべき我門流道士が肉体解脱後の安鎮の霊社を併設し、名実ともに安心立命の霊的機関の完成を果すべき具体案を得て、来るべき大司命後祭に於て執奏の運びと致したき一事にて、殊に水位神社御創建の儀に就ては神仙道道士会開闢の当初よりの懸案でありまして、此事は昭和二十九年十一月号の神仙道誌第四面に『瞼に残る水位先生邸址』と題して当時(昭和二十二年秋)の経緯を微言危辞した左の一文が載せられてあります。


 道士会開闢の当初、私は其頃既に久しく人手に渡っていた水位先生の旧邸跡を買戻して先づ水位神社を御創建し、水位神社社務所を以て神仙道本部に充つべき腹案を進めていた。私は必ずそれが成功するものと一疑なく確信していたが、どうしたわけか買戻しは実現して居らず、私が再度高知を訪れた時には、春風となく秋雨となく先師が日夜親しくけい、、咳を留められた邸址の立派な御庭先は無残にも掘りかへされ泉水は埋立てられて、恐らく高知随一でもあったであらう大蘇鉄樹を始め、石橋、庭石、苔蒸した石燈籠、一木一草に至るまで完膚なく取払はれて地均しがされ、何々省高知出張所建築地の標識が墨痕鮮かに建てられてあった。

 其時の異様な驚きと、失望とも落胆とも義慣とも言ひ表しやうのない感慨、常磐先生より遡って十二代、水位先生より数へて十三代、其の連綿たる名門の折目正しい血脈の匂ひと、不世出の神人常磐・堅磐両先生が御肉身生活の名残を留められた御因縁の旧邸址も ああ遂に姿を消した、事爰に畢れるかと潮江天神町の一角に落日を浴びつつ凝然と立ち尽したあの悲痛な断腸の思出が昨日の事の様に生々しい。

 毎月一度、私は筆山なる先師の墓前に額くたびに、瞼に残る旧邸址が思ひ浮べられ、道系を道士の腹底に留めよと教へられた先生の暗示をひしひしと身に感ずるのである。(清水南岳)


 爾来腹底懊々として心裏の雲影は払ぶべくも無く今日に及んでいるのであります。

 而してまた、我が生涯に於て、若し水位先生の神仙道無かりせば、顕幽を貫く霊魂千万年の幽真生活の道標果して如何、との命題に想到して先師の御鴻恩と道縁の深厚なるに拝跪の感なき道士は蓋しあるまじく、其師恩の万分の一にも報ひ奉るべく我等第一期道士の世代に於てぜひ独立した水位神社の御創建を ー といふ道念衷心よりの御要請を寄せらるる正信の道士も素より玄門開闢の当初より存したのでありますが、本部としては専ら重点を道統の伝法と学道宣布の面に置くの外無かりし実情は久参の道士夙に御承知の如くであります。

幽部道士の霊社

 また我が水位神仙道士が幽部に入れる後(神界の用語にて現界を顕部、幽真界を幽部と称す)現界より正しき神仙道の祭法を以て永代に亘り其神霊を祭祀し、幽真界生活を光輝あらしむべく祝福すべき幽部道士の霊社を建立しおくことも道士斉しく切望さるところであり、参山道士中この希望に関する面談の御提議も多々拝承し来ったのでありますが、之等切実なる希望を寄せられた道士のうちには既に道山に帰られた方々も有り(現在迄に幽部に属せられた二十三道士に対しては、御遺族の信仰や希望の有無に拘らず、道士の御道念と道縁の第一義を尊重して本部仮霊舎に祭祀し、師弟の情宜を以て毎月二日の水位先生御月例祭日と同日を月例慰霊祭日と定め、其幽真生活の栄光と霊格の向上を祈祭して居ります。)斎主として月例慰霊祭を奉仕する毎に追慕の念愈よ切なるものあり、本格的霊社実現の念願の一日も速かならんことを祈り来ったのでありますが、今十月二日の水位先生御月例祭奉仕中疑ふ余地なき成案の示唆を得、更に十月八日の夜(大司命祭前夜)引続き明確なる御示しを受け、本日大司命節前祭に於て小童大君少名彦那大神を始め奉り司命の皇神等、師仙等に所信と決意のほどを執奏し奉り、道士各位に対し草々に御提案すべく蒼皇として筆を執った次第であります。

身後五千歳、師仙と俱に仙霊殿に在らむ

 乃ち此既案は従前嘗て想ひも到らざりし構想でありまして、取敢ず仙霊殿(後に仙霊神社と為す)を設け水位先生を主祭神として祭祀し、併せて幽部に入れる道士を摂神(主祭神と同気連従の関係にある神霊)として合祀し、顕幽一貫游難することなく師弟としての情愛と御教導に倚頼し奉る霊的紐帯を固く締結しおくことに成案を得たのであります。

 従来之等の件につき躊躇し苦慮し来った主なる事由は、水位神社一社の建立すら要費の見通しのつき難きに加へ、更に道士の霊社創建とい過担に堪えかねて試案は常に纏りを見なかったのでありますが、前陳のごとき教示を得て宿憂一覧に晴るるの思ひあり、敬みて霊統上の神祇師仙等の並々ならぬ御神愛を拝謝し奉り、一気呵成に此書状を草しつつ瞼は既に師仙の坐前に侍る幽部道士の歓喜と栄光に満ち満ちた顔容を浮べ、茲幾何年を出でずして現在第一期上洩るること無く神集岳なる仙霊殿に会し得る日の荘厳に及び、転た感慨の無量なるを覚ゆるのであります。

 思ふに幽断の霊的交渉の相応する事実は宇内幽理の一大秘密であり、現界に於て一社一殿を建立して祭祀の礼を執れば幽界にても相応ずる社殿が実現され祭祀相当の営みが行はれることは動かし難い霊的事実であり、之は顕幽を貫く神界の実相にて、仙霊殿の場合に於ては神集岳大永宮の南方女仙宮の並び立つ地区と山一つを距てた風光明媚なる海岸に面した水位大霊寿真人の御本殿近くに実現を許されるものと考へられます。(神集岳真図参照のこと)

 すなはち一には水位師仙の別殿建立の意味をもち、一には併せて我が水位門流の道士の神集岳神界に於ける集会殿の意味をも兼ねもつものでありまして、将来幽部道士の増加に伴ひ殿宇の構成も次第に壮大となり、此界に於ける重要な公式機関の位置を占むるものと考へられますが、当面其の社殿に常居して先師の御起居に奉仕し得ない事情のもとにある場合と雖も、万霊神岳其他如何なる界に編入されあるものも、尠くとも毎月二日の仙霊殿月例祭には神集岳なる此仙霊殿に参集を許され、顕界よりの祭典の礼を享け、親しく師仙の膝下に左右して先生の温容に浴し得ることは、道縁の第一義と祭紀の幽理・神界の実相に照して明確なる事実であり、極言せばたとへ修真の道功薄くして下位の界に在る者と雖も月例祭当日の参集拝謁の度を重ねるに随って師仙の御教導と御取持ちを得て向上当遷の機会に恵まれることは必然の成果であり、正しき道統結縁と神霊鎮祀の道福の然らしむるところでありまして、斯うした神界の実相に本づく霊的大事実が信ぜられぬといふ向は所謂る「趣味としての霊学研究」の域を脱し得ない存在で、坊間流布の俗霊術の徒と何ら選ぶなき配列に堕するもので、求道の根底も砂上楼閣の一夢に等しく、顕籍を仮りに水位玄門に置くと雖も、魂籍は遙か塵外に分離せる者と謂ふべきであります。

一、鎮座予定地

 本部隣接地なるも高さ二間の断崖を境とせる上方の高台地。往年本部道場用地の一部として購入を予定せるも要費難の為め実現を見ざりしもの、若し此隣接高台に他者の居宅等を建設さるるに於ては道場を足下に見下され、修道環境として甚だ不都合につき焦心翼々として今日に至れるも神護にや幸ひにして未だ旧態の侭なり。

 浦戸湾を眼下に俯瞰する高台なれば、杉、檜など植樹して森厳の浄城とせば仙霊殿建立地として最適なり。
 殿舎等は時に随ひて其規模を改増し得らるるも、立地条件は時を失しては如何とも為し難き場合あるにつき先決的に考慮を払ふべき必要を痛感す。
 地価は未交渉なるも五十万乃至七十万円の範囲にあるものと思はる。

一、仙霊殿

 社殿は立派なるに越したることなけれど、取敢ず五十万円内外を目当てとし、内陣関係(一部黄金櫃を用ふる御霊代謹修費を含む)要費として約二十万円を見積りたし。総計百四十万円を予算とす。但し基金が予定額より上廻りたる際は随時社殿規模を豊かにすべし。右は最小限の予算なり。
 今日の五、六十万円と謂ヘば一個人が老後の隠居宅十坪内外の建築費程度にて甚だ貧弱の感あるも、前車の鑑あれば先づ確率第一方針にて出足いたし度し。

 先師への報恩の里宮として、更に兼ね併せて自らの神霊が千万年の永代に亘り鎮祀と祭典を受くる幽宮造営の道業なれば胆を放ちて奮発を促したき希望なり。
 我徒門人、一人の洩るるもの無く幽部に入ること、幾何年を出でずして絶対確実の決定的事実なれば、不日彼界にて顔々相照して聊かも忸怩悔恨の感なきを期したし。

 霊徳の人と雖も、必ずしも家系によりて其祭祀を全うし難きは殷鑑遠からず、先師水位先生すら只だ道統ありしに依りて今日神仙道本部に於て祀事を継続し奉るを得たり。
 前掲「瞼に残る水位先生邸址」の一文の隠微の潜意を参考して遠く深く慮られたし。

一、加名資格

 仙霊殿は 其創建の趣旨よりして正式入門の道士に限るものとし、道士家族と雖も遺憾ながら合祀を受理し得ず。即ち現時点に於ては師仙水位大霊寿真人を主祭神とし、摂神として既幽の二十四道士のみなり。(只今執筆中、稟申判令○級権大教正○○○○道士肉身を脱して道山に帰るの報に接す。第二十三席たりし○○○○道士に加へて二十四道士となれり。)本来は其の霊仙たる社格よりして仙階判令の稟申を受けたる有階道士に限らるべきものなるも、こは将来稟申の機会あるべければ、広く未稟申の道士をも含めて加名資格を定めたり。

基金御払込要領

 斯る道業基金は本来の趣旨として任意の額であるべきであり、一定の枠を設くる如きは不本意千万でありますが、現在の生活環境の関係などより推定して、斯る場合胆を放ちて義捐を寄せられ得る向と、然らざる向とが考へられますので、其の協力圏を各位の経済状態に応じて不自然ならざる様考慮を払ひ、目標額と照し合せて一つの試案として左の如く雪、梅、竹、松の四組を設けて概ね其標準を表し、其のいづれかを各位の分に応じて選択して頂く事と致しました。

 王母の神語に、道を同うする之れを天親と謂ひ、心を同うする之れを地愛と謂ふ、道を為(ヲサ)むる者は、まさに相親授して共に栄辱を均しうすべし、と有りますが、其の道を同うし心を同うする道心を自覚するの標べとして、雪は道心の清浄を表し、梅は道心の香り高き清楚と風霜を凌ぐ壮烈を表し、竹は道心の廉直を、松は道心の不変を表明したるものであります。

 因みに申添へたきは、御芳名及び御寄進額等は何人にも一切之を知らしむる如き事なく、総て御本人と水位師仙との直接の関連あるのみでありますから、其辺は何とぞ御安意を願上げます。

一、雪組

 一日十五円乃至二十円を道念の表現として積むことを一年間と見積る。即ち書状切手一枚代に相当す、すなはち遙か道山の先師に対し寒温を問ふの書状一日一通を致すと観ず。即ち一日十五円にして五千三百七十円、一日二十円にして七千三百円の寄進と成るべし。
 之を一時に払込まるれば道業大いに進歩するも、御事情によ り毎月(四百五十円乃至六百円)或は随時分割を以て凡そ一年間の期間にて払込まるるも可とす。

二、梅組

 一日三十円を道業支援の為に積むこと一年と見積る、すなはち一日に巻煙草半箇分の節約に相当す。之を以て一年にして一万九百五十円(月九百円見当)を寄進し得。
 一時全額払込または二分之一、三分之一の払込を得ば道業大いに進展するも、御事情により毎月の積立てに随って分割払込も吉とす。

三、竹組

 一日五十円乃至百円を道業の為に積むこと一年と見積る。志だにあらば何とかなりさうな線と思はるるも、世には百円亭主といふもあれば必しも当らざるべし。即ち一日五十円にして(月千五百円見当)一年一万八千二百五十円を寄進し得。
 一日百円にして(月三千円見当)三万六千五百円を寄進し得。事情許し得る向は全額一時払込或は二分之一、三分之一を此際御払込み願へれば道業の進捗見るべきもの有るも、毎月の積立てに従って分割御払込も吉とす。

四、松組

 一日百五十円乃至三百円とし、之を天睘に積むの道念を以て道業に転ずるものとす。即ち一日百五十円(月四千五百円見当)にして一年五万四千七百五十円を、一日二百円(月六千円見当)にして七万二千円を、一日三百円(月九千円見当)にして十万九千五百円の資輪を転じ得べし。
 本組の全額一時払込み数名を得ば社殿用地の購入は一挙解決を見るべけんも、二分之一、三分之一の御払込みも当面の資助甚だ大なるものあり。毎月積立ての分割払込みも三年、五年といふに非ずして一年を限としての辛抱なれば、実業方面及び比較的高収入の道士胆を放ちて先師にまみえられたし。

◎御送金方法は現金書留郵便が最も便利ですが、郵便定額小為替(料金千円につき十円)を書状に封入されるのが簡便で、受取人指定欄に神仙道本部と記入さるれば安全です。
 また銀行送金に依られる場合を考慮し、高知市四国銀行本店に清水宗徳名儀の普通口座を設けてありますので御利用下さい。

加名道士に贈嘱の神仙留魂符に就て

 神仙留魂符と称するは仮称にて、原名は神仙極めて秘したれば今之を洩し難し。
 此符は三通りの施行法あり、其一は此符に我分魂を留むるの妙用あり、乃ち留魂符としての施行也。

 其二は仮りに霊魂凝結符と称しおくべし。蓋し鎮魂の法二、三に留まらずと雖も、其本義は造化大元神(天之御中主神)の分魂離遊して宇内を運行するを我身体の中府に招き鎮めて我霊魂を増大し、魂徳愈よ奇霊なり。是即ちミタマ(霊魂)のフユ(増大)の原義にして、是の義を外にして真の鎮魂法あること無し。(俗学すべて知らず、石などに凝念して鎮魂などと称す、何も知らぬ也)水位先生は神仙修道の要は霊魂凝結の道なりとさへ極言せられたり。

 然るに造化大元霊の離遊の運魂を如何にして我身体の中府に招き且つ如何にして我霊魂に加増せしむるや、是れ秘中の極なり。第二の施行法に於て之を霊魂凝結符と仮称するは此符に其施行法あるに依る。

 其三を神仙七十二境通気符と仮称しおかむ、通気とは気線を感結するの意なれど尚は説明を要す。例へば神仙界の真図、真形図など其数許多あれど、此符の施行によりて其観想生きる也。尤も茲にはこれ以上の言及を忌む。

 今次の仙霊殿創建に加名の道士に対し(其の雪組、梅、竹、松組の各れの組たるを問はず)贈嘱せんとするは此の原符副本と第一の留魂符としての施行法授紀なり。
 第二の霊魂凝結符としての相伝贈嘱は、創建の道業めでたく成りたる暁に於て、其天機を縁として出伝の神許を請ひ奉るべく考慮しつつあり。活ける実神道の天機には道功に繋るもの多きなり。彼の仙道祝言に「我立勲功、願得長命、願得安寧」(我し勲功ヲ立ツルガ故ニ願ハクバ長命ヲ得サセ給へ、安寧ヲ得サセ給への意)と謂へるは至言にして能く実神道の真理を穿ちたり。

 宇宙は一増一減なきものにて自らより発したるものは自らに帰る、道功を立つるにより道福を得るなり。漫然と道縁を悖みて他力便乗を旨とする如きは神奸妖怪の思想なり。第三の施行法授紀に至りては目下のところ予想を許されず。


 此尊符は水位先生が小霊寿真に復階されし際に得られたるものにして、道統所伝の霊符としては最大且つ最も複雑なる符文にて縦八寸五分、左右一尺二寸余に亘り、始めて此符に直面するものの実感として暫し呆然として其神工の奇に打たれ、遂に人智の遠く及ばざる限界を浩嘆すべきも、神助を祈りて伝写に努めらるべし。

 今次仙霊殿加名道士に先づ留魂符として付属する所以は、此符受持の道士は肉体を離脱せざる以前に於て此留魂符を浄写し本部迄納符し置かれたき必要あるによる。即ち此符によりて仙霊殿に留魂を得る也。

 当該道士の幽部に入りたる時は、此留魂符は青真小童大君少名彦那大神親筆の得仙符及判令○等符に結符の上、仙霊殿に納められ、主祭神たる水位大霊寿真人の摂神として永代祭祀を受くる霊的手続(憑座)と為るのみならず、サキミタマ(幸魂、分魂)の活動を奇霊ならしめ顕幽交渉を容易ならしむ。
 また霊魂凝結、神仙七十二境通気感格の功用は幽真生活の向上助成に至大の関連あること言を俟たず。

 先師は異境備忘録に「人は死に臨むが一大事にて、其時の心の置方によりて死後に霊魂の鋭と鈍との差別及び行先の尊卑もあるなり」と申されたるが、こは通常人の場合を含めての普遍的実相なれど、萬夫の中に一人のみてふ求道士に於ては生優しき覚悟にては叶はず。
 常時神仙境に向ふ正しき姿勢と、其道士として正に行ふべきを行ひ、 其の正に為すべきを為す求道上の命課を果し得てこそ「顕世の事畢る」とは謂ふべし。

 求道士の通常人と異る格差は、正しき神仙界の実相を知りて人生観の根元を定め、修真の捷径たる神法道術を体現すると否とに係るを概論し得べし。茲には道縁と天機を以て其最捷径を指摘せんとするのみ。

◎而して右の神仙留魂符相伝道士名冊は今大司命節期間中(十月九日至十一月八日)に於て加名申出順に逐次小童大君及び師仙の尊前に執奏し原符副本の用意を為すべき準備あるにつき折返し御返示を相煩はし度し。

昭和四十一年十月九日大司命節前祭之日

高知局区内五台山 神仙道本部

斎主 清水宗徳

※現在これらのことは行っておりません。