神仙道の成り立ち

年月日

 これは神仙道についての初期の頃の話であり、故清水前斎主は水位先生の旧邸宅を買い戻してそこに神仙道本部を立てようと考えておられ、手付金も用意しておられたが、しかし美数よしかず氏の兄がちょっとお金を貸して欲しいと清水斎主にすぐに返すからと言われたので貸した。それはすぐに返ってきた。
又ちょっと拝借と言われ又貸した所がそれはついには返ってこなく、遂にはそこに本部を建てる事は出来なくなった。

 清水斎主は最初から神仙道は狂っていたと言っておられた。
 それはこの美数と言う人物は実は水位先生とは何の関係もない赤の他人であった事だ。
 水位先生の奥さんが亡くなる前に病床で寝ていた頃にこの美数氏が天満宮に勤めたいので、どうか私を養子として宮地の籍に入れて欲しいと頼み込んだ。

 この未亡人は人助けのつもりで養子とした所が、それは大間違いであったのだ。
 清水斎主も宮地威夫先生も最初はわからなかったと言っておられた。
 この人物は洗い場の榊などを洗うのに使う水に、鼠取りでつかまえた鼠をそこに漬けて殺したりと非常識な事ばかりを繰り返していた。

 あげくのはてにはある人が天満宮に参拝に行った所、履物が二人分あったのに誰も返事しなかったので、それで上にあがって見ると、もともとの水位先生の弟子であった宮地源さんの首をこの人物は絞めて殺そうとしていた。
 こいつがいるから俺は宮司になれないとの理由だった。
 こんな大事を起こしてこのお人は当然お役御免となり天満宮を首になった。
 清水前斎主ら関係者のおかげで警察ざたにはならなかった。

 神仙道本部はもともとが護国神社の近くにあったが、それより三ッ石の所に引っ越してきたのであり、どちらも五台山であった。
 旧本部にあった仙霊殿・仙霊神社は清水前斎主が亡くなった後、岡山の小路が勝手に建てた物であり、中を開けて見た所がゴキブリの巣となっていた。
 これは彼等関係者の亡くなった人の位牌を入れてあった物であり、当然正式なる方法で入魂修法した物ではない。