追魂降(ついこんこう)

茅山大法闘追魂鈴

 追魂降はこれ降術もっとも残忍なる一種であり、それは飛針・飛釘・追魂鈴をも包括して居り、どんなに遠くともこの種の追魂降はすべてあとを追って到って、人の生命を奪い取り、凡そ降にやられた者はすべて一死を逃れがたし。
 追魂降は即ちアラブ降頭の一種であり、のちにインドネシア・スマトラ群島・南洋群島一帯に伝わり入った。マレーシアや南洋群島がまさに開拓の時に多くのたがやした者は追魂降の害する所で倒れたのは、すべてこの種の高級邪門法術の降頭師がなせる所であり、鉱山を開き、スズをとろうとした人々が故なくして飛針のために殺されたり、頭に7センチ5ミリの針にあてられて、生命を喪失した人達がいた物であった。
 追魂降はこれ邪門の降術の最高なる一層であり、普通一般の降頭師はこの種の法術が練るも成らなかった。それは符呪行使法・符呪繰縦法を包括し影の形にしたがうが如くに、目標を追い求めてくるのであり、当たった所はすべてこれ要害の太陽穴・心臓・ノド等であり、すべてこれらは急所であり、死亡するのは当然であろう。

 深山にて修練する事三四十年の降頭師は祖伝の秘訣によって苦練して脱胎換骨、超凡脱俗の境界にまで練り成った物であり、通常この種の最高なる邪門の降頭師はすべてやせほそって居り、ひょうびょうとして仙の如く、仙風道骨のおもむきあり。
 以前の時代には常にこの種の降頭師が出現していて、古代のマレーシアの各州のマレー王朝の戦いの中で、この類の邪門法術の高強なる降頭師が助陣した物であり、古代のマレー王朝のマレー大王は特に彼等を崇拝した者で、誰が収めて自分のに用いるか、それは誰が双方の戦いの時に勝負を握るかが決められるからであります。

 古代の作戦の戦場ではこの類の降頭師の使用するのは追魂飛降であり、飛針・飛釘・追魂鈴等であり、専ら突撃してくる大将に向かってむけられたのであり、千軍万馬中の出陣して突撃してくるのは当然勇気がすごくあり、武芸の達人ではあるが、一度法力高深の邪門降頭師に会ったのならばすべて終りで、降頭師が法術を施こして、口の中で呪文を念じ、追魂降を放出すれば、影の形にしたがうが如くで、前に向かってくる大将に向かって攻撃し、大将が要害に当たれば、人や馬がドーッと仰むけに倒れるのであり、このように殺されれば、このように指揮する者がいなくなり、大軍が一度乱れれば敗陣は当然であろう。追魂鈴の追魂法術のこわいのはどんな所に隠れようとも隠れている所をさがし出し、あとを追ってくる物であり、都会より山に隠れたとしてもすべて体を隠している山の洞窟まであとを追ってきて、それよりその人に向かって手を下すのである。

 以前にこういう事があった。ある人の祖父が鉱山を開くのに測量を行っていた時に、少々の問題によって原住民の勇士と争いになったか、鉱山の鉱夫はすべて年若く力強い者ばかりで、多勢に無勢でありどうしょうもなく引き下がったが去る前にこの祖父に対して、お前の頭に注意しとけよと言われた。のちに何もなく一ケ月が過ぎてから、この祖父は一人の中国より来る茅山老師とたまたま会った。おしゃべりのうちで、先月測量をした時に原住民と口争いになり、頭に注意しとけよと言われた事をこの茅山術士に話した所が、茅山術士はすぐに聞いて、この事はそんな簡単ではないと知り、祖父をしばらく大山>たいざんの洞窟に避難せよ、ずーっと保護してやる、俺には相手出来ると申した。
 山の洞窟の入り口の所にはすべて霊符を貼り、術士と祖父とは洞窟で火を起こし休んでいた。本当に思いもかけず、追魂鈴は現在のレーダと同じように、祖父の隠れているその洞窟をさがし出し風に随がってきたのであった。

 カネの音は洞窟の外でうるさくひびき渡り続け、人が聞けばゾーッと寒気がし、身振るいを起こすであろう。祖父はすぐに心はあわて乱れ、一種の恐怖なる声が彼の耳元で、死ね!早く死ね、お前の寿命はもう終りだ!と聞こえてくるようで、カネの音で魂魄が散らばってしまうような感覚であった。この時に地上に坐っている祖父はこわがって、手足はふるえたが、対面して坐っている茅山術士は何事もなかったように大きく目を開いて一言も言わず、黄布の袋の中に手を入れて黄符を持ち出し、「すぐに此の符をnの中に入れて腹の中に入れ納めよ、さすれば自然とカネの音を聞いてもこわくない。俺にはあいつと相手出来る。」言うは遅くともそれは早く、祖父は黄符を手にするや口の中に入れた。唾液で黄符はしめり容易に腹の中に入れ呑む事が出来た。

 この時、洞窟の外のカネの音は、ますます速くなり、ヒュウヒュウという風の音も洞窟の外で何回もまわり旋転していた。黄符を呑んだ祖父はカネの音を聞こうとも又驚くことはなくなった。洞窟の外のカネの音は相変わらず鳴り続けていたが、洞窟内の茅山術士は静かに座っていて、目を閉じていて、追魂鈴のさわがしい音にも無関心のようであり、カネの音はズーッと鳴っているが、しかし澗窟内には飛びこんでいけなかった。それと云うのも山洞の各方位にはすべて茅山霊符の押陣である金、木、水、火、土の五行方面に大法を施こし、山洞の入り口の上には更に青符一枚を貼りつけてあったので、相手がどんなに強く追魂鈴大法を繰縦するとも、追魂鈴は依然として祖父を殺す事は出来なかった。

 追魂鈴は祖父を山洞内におろしめる事三日三夜、幸にも祖父は乾糧に水を持っていたので、飢餓の苦しみには遭わなかった。第四日目、おおよそ相手の降頭術士が攻めの態勢にくるだろうと予測し、夜明けの寒風はジーンジーンと山洞の外より吹き来り、ただ大きな青い衣を着ているのみで寒冷もかんじない様であった。その手は人差指を胸の所におき、静をもって動を制し、敵の進撃を待っており、彼は茅山大法を施用し相手の追魂鈴を施用した降頭師は明け方の三時に法を放ってくると予測していた。果たして思っていた通りに三時十五分、洞の外は狂風が吹きまくり、すぐに茅山師伝は朱砂を下にまき、一つの円形を作り祖父にその円内に座るように申しつけ、どんな音が聞こへようとも決してこの朱砂の円陣を離れて外に見に行ってはダメだといましめた。

 サアサアと山洞の外の砂粒や小石は乱れ飛び、茅山師伝は盤座して座り口の中で呪文を唱へ、祖父は彼が人差し指と中指とを立て合わせて山洞の外に向かって距離を離れて茅山大法を施し出し、金・木・水・火・土五行換位と叫ぶと、突然ワアワアと叫ぶのが聞こえた。多分相手の降頭師は茅山法術に傷つけられる所であり、また続けて降頭師が山洞の外で大声で狂ったふうに叫んだ。「なんでお前は張り合うのか、俺は又お前と相手するのではない。祖父が茅山師伝を見た時にはその降頭師を無視し、彼は叫び続けた。茅山師伝はこいつがもうすでに禁地に進入してしまい、金・木・水・火・土の五行陣に閉じ込められ、同時に又傷つけられてしまい逃れがたし、即ち五行陣からは逃げられないのであった。すぐに茅山師伝は黄袋より二本の小さな先のある枝を取り出してパアーンと打ち出し、一技に一枝とこの一枝は降頭師の手に、もう一枝は降頭師の足にささり、上下とも十二・五センチの長さでこの時に降頭師はささったので、狂ったように痛いと大声でわめきちらした。

 降頭師自身は重傷を受けてもう戦えず、又戦ったとしても茅山大法には勝てなく、それで地面にひざまづいて許しを求め、茅山師伝・私をどうぞお放し下さいませ、もう二度と事を起こしませんと。後日、あとになって安全に気をつけ、祖父は茅山師伝をやとい入れ法師にいつも保護してもらい、いつも身辺にいてもらった。祖父が寿命がきて亡くなった時に茅山師伝はそれで中国にと帰って行ったのでありました。

追魂釘(ついこんくぎ)

 追魂飛釘はこれ追魂降中のもっとも上乗なる邪門の最高の降頭術であり、此の種の追魂飛釘を施放する降頭師の法力強く高く、その邪門法術はすでに炉火純青(功力が精深)の境界にまで到達している。
 その繰縦する10センチ長さの鉄釘のさまは棺材の針に似ていて、攻撃する目標はこれ人の頭頂(テッペン)や後頭部であり、眼の前に白光が一閃すると思っていると、飛釘はまたたくまに飛んでくるのであり、百メートル、二百メートル・更にはもっと遺くの距離まで到る物であり、ひとたび放ってば即ちあたる物であり、釘に当たった者の命は必ずその場で亡くなるのであり、七孔より流血し、見れば恐怖であり、みじめでまともに見れないであろう。

 凡そ此の種の追魂釘降を学ぼうとする人物は、第一に必ず胸に毛が生えているような人。第二に手段にようしゃなく、人を殺しても顔色をかえず。三に親族とも別れる。四に結婚出来ない。五に女人に近づいてはいけない。六に法術を学んだ秘密地点や先生は誰なのか、どの降頭の宗派を受け継いでいる等は絶対に明かさない。七に施術を求める人があっても、その結果はどうなろうと知った事ではない。八に年老いたあとに人を選んで法術を伝授しあとを継がせる。

 此の法を学ぶにはこの八つの規則を一つも破ってはならない。師匠が伝へようとした人を選んでから、彼を連れて人間社会を離れ深山の密林の場所にゆき、太陽にはさらされ雨には打たれ、洪水や猛獣に対面し、山の生き物や野鳥で飢えをみたし、穀物を食べるのは少しである。孤独で一人で生きる性格を養い、天地の気を吸収して体内の先天の気と後天の気とを自己の体内にて融合させるのである。 一度夜になれば降頭師は彼を連れて山林中を飛びまわり、暗夜に走ったり又暗い中での眼力を鍛練し、真夜中でも眼がきくようにするのである。

先づ体を練り、あとに法術を伝える

 狂風や暴雨、真っ暗闇な天地、雷がトドロキ鳴っている時に師は彼を出てこさせ、雨風の中をかけめぐらせ、バリバリと鳴る雷の音や風の音に耳をかたむかせ、狂ったような雨の中ビシャぬれの苦しみにも抵受し、風寒の侵入にもがまん出来させ、以て体内の気魄・無形の一つの気勁を増長させるのであります。弟子が厳格なる訓練を経て鍛練をして強じんなる身体となってから、老師は軽功の法及び敏捷なる軽功心法を授け、あとになって師より正式なる追魂飛釘呪及び法術を始めて授けてもらえるのであります。

 此れよりさびしく陰気のこもる恐怖の山洞内にて、蛇・虫・ネズミ・蟻等を友として、日夜呪文を唱へ、心をこめて法を学ぶのであり、時間がいくらたったのかわからず、師は弟予に功力がついたと認めてから、弟子をつれて下山し、以て試験品(人)を物色してためすのであり、もしも運が悪ければ遅かれ早かれ彼等とゆきわたり、彼等の試験品となり、ゆえなくして犠牲となり、あの世に旅立つのであります。
 南洋群島の開拓時代、 とても多くの人々が追魂飛釘によって命を落とした者であり、鉱夫や森林開発の労働者やゴムの木を植えた農民等はすべて追魂針のもとに死し、死んでも追及されなかった。飛釘殺人、防ぐにも防ぎようがなし。

 此の種の法術は伝わる所によると、ボルトガルの艦隊がマラッカに上陸した時代、その中にアラブ・トルコの術士の遺留した物であるといわれている。マレーシアの植民地時代にかつて降頭師同士の闘法(法力合戦)の事件が発生した事があり、そこで発見されたのはやぶれた は10センチのはりの飛針によって殺されていたのであり、人々は棺材針飛降の真の威力を知ったのであった。中国の道術で追魂飛釘の降頭師と対決できるか申すと、中国道術の唯一の方法は闘法であり、それで人を救へるのである。しかし、最も難点なのは追魂飛釘降頭師がいつ?どの場所で殺人を行うなのか、殺す対象は誰なのか、が仲々わからない事であり、又彼等の軽功の高き事をおもん見るに風の如く来ては去り、同時に彼等達はもしもあなたが彼等を追っかけようとした時に犬や或いはネコになって去ってゆくのである。

 法術とは耳にも聞こえず、目にも見えない物であり、法力の高低はその人個人の修行によって定まり、資質(素質)が最も重要である。法術には正邪に分かれ、正とは天に代わりて道を行い、邪とは人間を害するのであり、追魂飛釘を学んだ降頭師は必ずきっと応報があり、老年の時には善を行わず、若くより長年月の山洞の重すぎる湿気を受け、年寄って体が弱くなって気血が衰ろへたときに風湿(リウマチ、足のしびれ)が必ず骨に入り、又面倒を見てくれる子供もなく、孤独で苦しく、生活も問題となり、みじめで生きていてもしょうがない時に自分自身の手で以て急所である太陽穴(コメカミ)をなぐって死ぬのであるが、生きていけたとしても罪業は深く重く、殺人はとても多く、それらの陰魂(霊))は落ち着かず、うらみの霊どもが命を取りにき、終には鬼門関(あの世)を逃れがたし。

邪術高手、抗日戦に参加

 日本がマレーシアを統治したのは三年と八か月、この長い歳月の中で軍によるムチャクチャが横行していた物で、人民の苦しさは言葉に尽くせぬ程であった。
 当時、追魂降頭師が集合してあつまり抗日組織に加わり、それは又かがやかしい一ページを作った物であった。彼ら達は抗日組織のゲリラに加わり、専門に日本軍の食糧運搬車や軍事輸送隊に向かって突撃したのであり、日本軍の隊長および部長に追魂針で以て殺し、食糧や武器を盗み取ったのであり、事件後日本軍総本部の殺された隊長や部下の頭にはすべて10センチの長さの鉄釘による傷が見付けられたのであり、単にセランゴ州だけでこのたぐいの事件は何十件にもあったもので、日本軍は戦々競々とビクビクしたのであった。のちにクァラルンプールにあった南益大厦の岡部隊は上部の(岡部隊とは日本政治部である)下手人を捕まえよとの命令を受けて、すぐに行動を取り日本軍は各地を捜査したが、真正の追魂降の反日同志はつかまった事がなく、捕まえられたのは多くの青年で、南益大厦に送られて、コブシや足でなぐられけられ、水攻めの各種の酷刑を受け、多くの青年が犠牲となったのであった。

 いくどきだったか、勝隆スズ鉱の社長の長男の維新が何の事件か知らないが、仇敵の家の害を受け、そこでは追魂飛釘降頭師を雇い入れて、維新を殺そうと知ったが、幸にも友人及び時に招き来たれり茅山法師によって救われ、追魂釘の暗殺よりまぬがれた事があった。時に今日に到っては追魂飛釘降の事件は再び聞く事もなくなり、追魂飛釘のこの類の邪門法術が依然として、世間にあるのかは知るよしもない。

 追魂飛釘の降頭師のその職業はそれ殺人であり、残忍なる殺し屋であり、丁度以前の忍者と同じで、専門に殺人の技をあやつり、暗殺が仕事であり、一流の殺し屋で、大金で人に雇われて、人を殺すのであります。

追魂針

 世界の地理環境で東南アジア・のインドネシア・スマトラ群島すべてこれ火山の最も多い地帯であり、億万年の歴史的変化を経過し死火山・活火山とが残った。
 活火山の周囲の地帯の空気の焔熱は頂点に到り、火山の気体・液体及び溶岩が断ゆまなく地球内部よりわき出てきてこれらの場所では草や花がない。どんな時代を経過したかわからないが、これらのマグマ、溶岩はインドネシア、スマトラを断ゆまなく浸蝕し、活火山は変じて死火山となり、マグマや溶岩は冷却されて石の塊と成り、これらの大小の石の塊は火山岩あるいは火山石と成った。
 死火山地帯は一種の異なる天然の気があり、歴代の追魂飛針の降頭師はすべてこの火山地帯にて修練し、ここで弟子に伝授するのであった。追魂飛針降頭師は火で以て降を練り、石灰を加え入れて火山岩石を燃料として、細い鉄の枝を製錬して針とし、九十九日の苦労の練針の仕事を経て、始めて製錬が成る物であり、通常追魂飛針の降頭針の製錬する飛針には大あり細いのもあり、大なのはクツを修理するのに用いられる大きさ、中なのは押しピンの大きさ、小なのはそれよりも倍細い。

火山石牌・妖邪不侵

 インドネシア・スマトラ群島は遠きは何百年か前にインドのバラモン教が伝わり入った。バラモン教はよく針を使い、針で鼻や口をくしさし、長い針で体をさし出したりする物で、バラモン教の苦修・苦行はすべて針を用いるのであり、飛針降は針を用いるのであり、歴史的研究によれば特に可能性があるのはバラモン教の針の霊感よりきた物であろう。
 火山地帯には天地の広大なる気を持っており、火山岩には地球の鉱物質の精華があるので、飛針の火練原料もまた火山石鉱を石炭と配合して燃焼させて、烈火で持って鍛練して鉄を鋼にかえ、且つ針を磨く石はすべて火山石を用いるのであり、死火山地帯は此の類の降頭師の最も好む所である。
 昼間は洞内にて静養し、晩になると火山地帯にはいのぼり高い所より遠くをながめ天地の気を呼吸し加えて日月精華の光を加え、両目は自然とはるか遠方までながめ見れ、体内の丹田の気には一つの強勁がわき出で、身体は軽く歩みも素早い、正に軽功である。

 彼等は飛針を練製する以外に、更に火山地帯にて良い火山岩石をさがし出し、各種各型の火山石練牌 ・指輪・火山宝石を製造したりするのである。
 それらにはだ円形のや丸い形があり、火山石の製品の練牌はキラキラと光り輝き、石の光りに目を奪われるようであり、指輪は優美にチラチラと光り、火山宝石は貴重なる物である。
 降頭師はこれらを持って、町に行き店を広げて、これらを売る訳で、とりかこむ人達に火山石練牌は邪を避け、それらをつければ邪気や妖気が身に着かず、鬼怪が見ればすべて恐れる。価値を知る者は至宝であると皆知って居る。

密に飛針を施して、その家に来たりて降を解く

 一つの場所より又別の場所に行って、売って銭を作り、生活費をかせぐわけであるが、別の方面では金持ちの家の内情をさぐり調べ、もしも金持ちの家で子供が一人だけいる時には、真夜中に軽い型の針を飛ばしてその子供を傷害すると、その子は寝込んだりする物であり、その家では子供が邪にやられたとして、あらゆる所で人を探し、治病や駆邪をするのであり、この時に追魂降の降頭師は即ち出現して、その子供の邪を解けると申し、一見してワァーッと叫び、子供は飛針降りにやられた物であり、幸いにも私がここを通りかけたので、救ってしんぜようと申す。

 すぐに作法をし、家の者に何粒もの鶏卵を持ってくるように申付け、降頭師は呪文を念じてから開き破った鶏卵を皆に見せ、その鶏卵の中には小さいな銀色の針が刺し入っていたのであり、各自に対し子供の体内の中の飛針はすべて法術で以て収めた申して、金持ちを完全に信用させるのであります。三日間その家にてその予供を治療し、そして正常に回復してから、降頭師は重要な事があって去らねばならない。去る前に私は火山宝石を持っており、邪が避けられる、降頭にもやられないとの説法をすると、金持ちは子供の命を救ってくれたお礼として、大金を渡すのであり、もし火山宝石もいるならば、又高い値段を申すわけであり、これによって火山宝石の商売も成り立ち、そして又別の個処に行って、又同じ事をするのであります。

 追魂飛針の大なるは壇の中にて作法をし、呪文にしたがって施法する対象の心臓の要害に向かって飛びゆき、針にあたれば人は亡くなり、それはすぐの間である。軽い型の追魂飛針はすぐには針にあたって命をばなくされないが、針にあたった者は筋肉や精神上の苦しみを受け、その針にあたった部位は人体の要害ではなく、手や足の部分であって、針にあたった所は血が流れ出て赤くはれ上がり、早ければ生命をまだ救えるが長い時間がたちて針も多ければ針の痛みは心臓に入り生命はあやうしからん。

 追魂飛針の術を学ばんとすれば師は死火山の地帯につれて行き、このこころざしをみがき、その皮膚筋肉をきたえ、日の出・日の入りをみて眼力を練り、同時に師が火山の周囲で火山石をさがすのも手伝い、持ち帰って火山石練牌・指輪・火山宝石を製造するのである。烈火で針を練る炉の所で火の状態を見たり、針を磨いたり、火山石の練牌を磨く苦労の仕事をし、苦労の仕事に耐えれば、始めて弟子にしようかと考慮されて、追魂飛針心法や繰針呪等を授かるのであります。これらの苦労や労働に耐えきれなければ、師より下山を命ぜられるのであります。
 弟子となった者は追魂飛針祖師を拝ませ、追魂飛針で以て同門の兄弟弟子を殺害しない事を誓わせ、都市で自分は飛針降頭師であると称して宣伝してはいけなく、大金をもらわないのにむやみに飛針を放って、人を傷つけてはいけない。淫慾の念や人の妻に淫してはいけなく、師がどの人であるかも洩らしてはいけない等々。

 後に師は弟子を死火山の上につれていき、静座をさせ、黒い闇夜の中で火を起こし、気血を全身に循環させて気で以て人身の各大きなるツボを通ずるのであり、そして弟子に山をのぼらせたりおろさせたりして、訓練し、すべてかけ足の速度で以てやらせるのであり、日々長くして山に上がるも降りるも息がハァーハァと言わなくなり、無比なる敏捷さ、平地の上を走れば身体はツバメのように軽く、来るもはやく、去るも又なんと早い事か。
 これまでに術を学ぶ弟子は素質方面で静座の悟りが出来なく、中途でやめて下山して離れて行ったり、又あるいは性の苦悶に耐えられなくなり、続けて学ばれなくなったりするのもありで、それで伝人は極めて少なく、それを得た者はただ数人のみである。