異術・降頭術

 広く東南アジアー帯に伝わる巫術の中で、「降頭術」と云うのがある。この降頭と云うのは「巫術」という意味で、現地人の間に伝わる咒術であり、この原始宗教である降頭には実に驚天動地の力があって、人々より恐れられているのである。

 これらの奇異なる術法は、婦人が結婚をして子を生んでも育たない。又男性の能力を失わせ、甚だしきは人を発狂させ、理性を失わせ、全身素裸となり、泣いたり笑ったり喜怒常なく、メチャクチャなことを言う。且つ家庭内の肉親の関係を悪くさせ、老幼とも奇異なる病痛を生じ、不思議な死に方をする。
 タイ、ベトナム、ハワイ、オーストラリア、インドネシア、フィリピン、マレーシア等では曽って少なからずこの降頭術によって不思議な死に方をした事故が再三あった。医者たちはこれらの死亡した原因を見つけようと究明したが、全てその事に妙な感じを起こした。
 それというのもこの術にかかって死んだ人達は皆十分なる健康の持主であり、且つ又、事前に何の病気の徴候もなくして死亡したからである。

 この降頭術は凡そ三種に分れ、一には生降、二には死降、三には飛降。生降は人を狂人にし、或委は片輪にする。しかし、これはまだその術を解くことが出来る降頭であって、死降に到っては解くことが出来ない。それは立ち所に人を殺すからで、この両種の降頭は使用時にある種の物の上に乗せて、一たび人体と接触をすれば、すぐにその作用が発生する。
 飛降は間接的に効果が発生するもので、それは降頭を綺麗な花や或いは果実に付けて、その香りや味・色で以て人を誘って、一旦それをつまむか鼻で嘆げば、降頭はすぐにその人の身体に取り付くのである。

 東南アジアではこの降頭術に関する映画が数多く出されて居る。私の持っているビデオテープでも「摧花毒降頭」、「勾魂降頭」、「降頭」、「暹羅貢頭苗家蠱」、「蜈蚣咒」、「苗彊蠱」、「半暹降」、「符法鬪邪術」、「処女降」、「養鬼」、 「毒蠱」、「天師出撃」、「魔」、「飛頭魔女」、「妖艶靈女1・2」がある。

 昭和62年10月10日発行の雑誌ヤングジャンプ「エクスプレス」の中にインドネシアの映画で「首だけ女の恐怖J と云うのが 11月21日発売されるとの事で、之は「飛頭降頭術」の故事をもとにして出された物で、それは降頭の法術の力によって頭が内 臓と共に体より離れ)自由に空中を飛び廻り、生き物に会うとその血を吸い飛頭吸血鬼と成る邪術中の邪術である。「白ワニ来たりて腰をふる」―ワニが美女に恋をするというぶっとび恐怖物、「蛇頭の恐怖」―髪の毛が蛇の美女、身の毛も よだつ咒い物、「妖怪レイプハンター」―千手観音のような女ゾンピが復讐の鬼となる。

 「半暹降」と云うのは実際にあった出来事を香港の映画会社「國泰」が映画にした物で、香港、シンガポール、マレーシアのイポーの場所にて現地撮影したものであって、映画に出てくる主人公等は今の映画俳優ではあるが、故事の名前は全部真実の姓名を使っている。
 その事件が発生したのは一九八年の四月始め、イポーに住んでいるツウ・ホエイ・ツェンと云う当年二十歳になる一人の少女が、家が貧しいのでそこの土地にてバー勤めをしていた。彼女は無意中に遊びに来た一人の客の怒りを買ってしまって、一杯のオレンジジュースを飲まされて家に帰った後、病気になって起きられなくなった。始めの時には彼女の口及び舌先が片一方にゆがみ、そして白目をむき、舌は口の外に出る事十八センチもあり、最後にはうごめいている沢山の蛆蟲を吐き出したので、家族の人達は各自ビックリしてしまった。
 彼女は半暹降にかかる事三週間にしてツェン・イォウ・リヤーン氏の仏堂に担ぎこまれて来たわけで、その前にはイポーの王人の医者や一人の漢方医に見てもらったが、結果は病人の病態は益々厳重になるばかりであった。聖水及び仏教仏法で以て救活した後、最後になっておびただしい蛆蟲を終いに吐き出した。

 蛆蟲の形は死体につく蟲と同じで、人が見れば気持ち悪くなって吐き気が出る程であるが、この前から彼女は何日も食事をしなかったが、眼が白眼をむいていたのが普通になった他、黒い顔色だったのが普通の血色にもどり、怪物の形相だったのが、普通の人間の顔に恢復したので、その場にいた家族は少しなぐさめられた次第であった。前後ただニ日二晩にして降頭は完全に追い払われたのである。
 彼女の話によると四月三日の晩、彼女はカゼを引いていたが、休まずに仕事に行った所、その日の晩、ある棺桶屋が彼女に坐るように言いつけ、その男は二杯の酒を飲んでからいやらしいふるまいをしだした。彼女はもとから非常に不満であったので、何回もその席を起とうとしたが、男は非常に面白くないそぶりを現したので、彼女はただ我慢するよりほかしかたなかった。

 ある時彼女がトイレより出てくると、その男は彼女に一杯のオレンジジュースを飲むように命じられたので、それを飲んだ。飲んでから急に体がフラフラとしたのでカゼが又出て来たのかと思い、それで家に戻った。家に帰ってから母親に頭がフラフラしてとても気持ちが良くないと言ったので、娘にあれこれ考えずに、早く寝むりなさいと申しつけた。
 二日目になって、娘の顔色が青白くなったのであわてたが、しかしそれも普通の病だと思っていた。彼女を何人もの医者に見せたが、全て病状が何かわからないので、そこで始めて緊張しだし、娘の病状も段セと怪しくなっていき、口がひね曲がるのみならず、舌も口の外に大きく出、眼も白眼をむいていたので、その様子はとても恐ろしかったとの事であった。

 日本に於ても妖艶靈女1・2及び養鬼のビデオテープがレンタルビデオ店に出ている。養鬼のビデオテープは大阪の○○君がビデオ店を駆け巡って、やっと見つけて来てくれた代物であって、それは養鬼の一種である乾娃娃ワアワアの物語である。昭和五十九年の六月、台湾の大手の新聞社である聯合新聞紙に興味深い記事が載っていた。逐一紹介すると、

 信仰ーそれは人類が超自然力に対する信服、或いは不可解な事によって発生するものである。どの地区にあっても、異なる種族があり、全て彼等の特異なる信仰があるものであるが、タイ、ビルマの地で一種の聞くも未だ聞かれざる奇特なる信仰が行われている。それは小さな人の乾いたものをお祭りしてあり、防腐剤を使って多年に亘り腐らないように保存してある死体、即ち、ミイラとは遥かに異なるものなのである、と。

 小人乾、当地の人は一般にこれを「乾娃娃」と称している。娃娃とは嬰児・赤ちゃんの意味で、それは妊婦が懐胎すること十ケ月、しかしながら胎中にて死亡したる胎児を指し、死んで生まれてきたものである。通常、長さは約六~七寸にて、肌の色は黄色く、筋肉は皺が寄り縮まっていて、五官はハッキリして居り、四股は皆調っていて、性別も判別できるほどである。蔭乾しにしたのと同じようなもので、これを「乾娃娃」と称する。説によると、或る家でこの種の乾娃娃が生まれた。その時は吉星が降臨したようなもので、神様を祭るのと同じようにたて祭る。一定の時間が来れば、それは霊力を発揮し出し、家の人に金を儲けさせて、金持ちにしてくれると云ふのである。

 ビルマの或る中国人の家で、一人のこの乾娃娃が生まれた。父母は風習通りに、十分綺麗で優雅に富む衣服を作り、それに着せて、透明なるガラスで拵へてある四角のお棺の中に入れて、清浄なる密室の中でお祭りをした。一日に三回線香を供え、春夏秋冬の四時に、それぞれのお花や果物を絶え間なく供え続けた。
 三年後、この乾娃娃は顯霊しだし、夢のお告げを自分の父に告げた。それは夕に川のほとりで一個の石を拾って来いというものであった。外側の砂を磨き取って見ると、それは一塊りの稀に見る翡翠であり、この石塊りの価値は非常なものであって、家人に大金を儲けさせたわけであり、このことは美談として広く流伝されているのである。

 タイ国の〇(女扁に夜)柿(タイの第二の大都市チェンマイからそれほど遠くない地域に、黄金の三角地帯と呼ばれる中心地帯で、へロインの七十%を産するといわれる無法地帯)に、或る顫州人は専門に高値でこの種の乾娃娃を買い集めている。彼は既に五人のこの小人乾を集めて、紫水晶でお棺を作ったのに入れて、一間の優雅なる室内で神様を拝むのと同じように奉仕している。
 話によると、この人は前は名もない人であったが、乾娃娃をお祭りするようになってからは商売繁盛で、財が広く入るようになり、吉運は絶え間なく続いて、今では既に大富翁となっている。
 彼はその乾娃娃を気持ちよく人に参観させたりしているが、条件があって、それは参観者は必ずその小人乾に対して膝まずいて拝み、恭しく香を上げなければいけないということだ。彼は又、如何なる人であっても、決して撮影許可をしない。
 もしも撮影されたら、この乾娃娃の力がなくなると思われているからである。
 当地の諺に「家に路巧あれば宝を集めるのと同じ」という言葉があり、路巧とはビルマ語で、その意は「人乾」のことなのである。人の数少ない、遠くかけ離れたところにて、もし家の中で乾娃娃を生産することがあれば、声を高らかに宣伝することなどはしない。密かにお祭りすればよいのであって、それは小人乾は宝を集めることができると思われ、多く人達はそれを奪い取って己の宝物とするからなのである。

 或る一対の貧苦なる老夫婦が、百年の半分になってから漸く一人の乾娃娃を生んだ。噂が外に洩れてしまい、悪人のために二人は山谷の荒屋で殺されて、小人乾は持ち去られてしまったのである。常理より推せば、殺人者を保護し金儲けをさせないのが正しいことであるが、しかし乾娃娃での人殺しの事件は時々聞くところなのである。
 乾娃娃は霊験を発揮する前には、自然と穏やかな顔となるのであって、この現象が発生してから、その家の人は往々にして大繁盛となり、どんな事でもうまくゆくようになるとの話である。

 昭和五十九年三月十一日発行の台湾の夕刊新聞である自由日報に「降頭術」と題する記事が出ていた。少し抄訳すれば、青年某は或る事によってマレーシアに行き、偶然的に現地の金持ちのお嬢さんと急速に親しくなり、二人はただの関係ではなくなってしまった。後になって青年はその女性と別れて香港に戻って来た。彼の両親は彼に別の裕福なる家の女性との結婚をさせた。彼は事の始めには極力反対したが、両親は頑固として聞かず、反対しようにも終には反対出来なくなってしまった。
 そして奇怪なる事が起きた。青年は結婚後はユウウツそうで一人でいるのが好きで、妻とは少しの対話しかしない。更に不思議なのは結婚して一年位なのに、寝室で夫婦がベッドを共にしているのだけれども、しかし未だかつてセックスをしたことがないのだ。何日間も彼の奥さんは彼を挑発して見たが、しかし彼には全然まったくその気がなく彼女は全く失望してしまった。母に遠回しにその様子をしゃべると、その母は彼女に彼が熟睡してから、彼が本当に出来ないのか試してみなさいと言われ、その結果は正常なのであった。

 このように又過ぎる事二、三ケ月して彼が自分の奥さんに、「俺は来月には絶対にマレーシアに行きたいのだ。そうでなければ悪い事が起こりそうな気がする」と言った。彼女はおかしな事だと何回も間い尋ねたが、彼は返事が出来なくて、言いにくそうそう感じがあった。青年の父母は自分の息子がこのようになってしまったのを見ているから、自然と一人息子を遠くに行かせなかった。暫くして終に悲劇が発生した。或る日の晩の事、青年が風呂に入り、その風呂場の中で首をくくって自殺したのであった。それは体につけていた帯を使ってであった。家の人達はとても悲しんだが、しかし誰もその死因がハッキリとしない。
 青年が死んでから半月してから、彼の父母は一通のマレーシアから寄せられたおかしな手紙を受け取った。それは彼の女性が書いた物で、その説明によれば別れる時に「降頭」術を使って彼に施した。もしも時期をこえて来るという約東を守らなければ、彼に首つり自殺をするようにその術をかけた。薄情者に思い知らせる為である、とそう書いてあった。それで家の人は青年が現地の女に降頭術をかけられたのを知ったのであった。
 次にもうーつの降頭にかかった惨劇がある。

 その経過と遭遇とは前に述べたものとほぽ同じであるが、しかし術にかかった者の死にざまは更に惨めであった。彼(陳某)がマレーシアを離れる前に一人の現地の女性と相思相愛になった。彼が船に乗る晩の事、その女は何個かのドリアンを選んでプレゼントした。笑って言うには、「この果実はここで取れた物で、私もここで生まれた女なので、後にあなたがドリアンの素晴らしさを思い出した時、キット私の事も思い出して、早く帰って来て下さいね!」船が出航しようとする時になって、その女が何回も丁寧に言うには、「あなた、必ずキット半年以内にここに戻って来て下さい、そうでないとあなたとは会へなくなるでしょう。私は本当にあなたを物凄く愛しているのです。絶対にあなたを他の女に取られたくないのです」陳某は彼女がわざと甘い言葉を言っているのだと思い、「私も屹度戻って来る。お体をお大事に」と社会的辞令を喋った。
 二人がすでに離れてから三ケ月が経ってから、陳某は急にその女からの手紙を受け取った。それには早く帰って来て下さいとある。陳某は返信に旅費の都合がつかないと書いた。思いがけずーケ月以内のうちに、彼女は約十万円位を送り寄越して来た。同時に手紙の中で彼に申すには、「半年の約束を絶対に守って下さい。そうでないと後悔する事になり、取り返しのつかない事になります」と書いてあった。豈はからんや、陳某はお金を得てから別の女とうつつをぬかし、手紙をも彼女に書かなくなり、自然に更にはマレーシアにも行こうとしなかった。

 あっという間に半年が過ぎてから或る日の事、陳某は自分の腹が平素よりも大きくなっているのに気付き、そして半ケ月してからグーッと大きくなり、妊婦がもうすぐ産気づくような腹となってしまい、医者や中医達も全然手の施しようがなく、それで彼は己が彼の現地の女の降頭にかかったという事がハッキリして、 手紙を書いて救いを求めようとしたが、しかし既に手遅れで、前後経過する事二十何日かで死んでしまった。これは「牛皮降頭術」と呼ばれる物で、これは悪人を懲罰する術法で、術にかかってから、一定の期間内に罪の許しを乞われなければ、咒文を念じてゆけば、相手の腹が段ャと大きくなっていき、期間が過ぎると死ぬ恐れのあると云い、百発百中の術法である。

 東南アジアの川には、いつも狂暴なるワニが出没していて、人間がその川で行水あるいは着物を洗う等は大変危険なことで、万がーにもワニの襲撃に遭遇すれば、大きくてワニの餌食にとなるか、少なくても咬まれれば片輪となってしまうだろう。
 一人のあるマレーの土人が、ある夕方、家に帰ってみたが、部屋はカラで、彼の奥さんの姿が見当たらない。あちこちと探し回って最後に川のふちにくると、自分の家で使っている竹籠がそこにあった。籠の中には又、洗ったらしい着物が入っていて、その着物は自分の奥さんのものだったので、これは屹度ワニに咬まれて呑み込まれてしまったに違いないと確信を持った。
 そこで、そのマレー人は降頭術師を探し出し、そのワニを摑まえてくれと頼み込んだ。そこで術師はその川に行き、ある咒を唱えて彼にこう言った。
「網を張れば、すぐに一匹の大きなワニが獲れる。それがあなたの奥さんを喰った奴だ」
 そして本当にワニが獲れたので、土人はワニを縛って亡き妻の霊前目撲げた。済んでからワニの腹を割いてみれば、果たして亡き妻が身につけていた着物の切れ端が見つかったので、このワニが本当にそれだということが証明されたのである。

降頭術修練

 年老いた降頭師の多くは高山を選び天地の気があり高山地帯の山洞で大多数は人と隔絶したような所で密かに修練するものである。日月(太陽や月)の精気や山洞の陰森の寒気を吸収して、降頭術の最高境界に到るように修練するものであって、凡そ拝師をして術を学ぶ弟子は第一には必ず縁がある事が必要で、第二には苦労に耐へ得る。孤独で苦しく寂しい山洞の生活に忍びこらえられる事が必要で、第三には飢えや寒さに忍耐でき、ものともしない心がある事が大事である。

 老降頭師が一たび弟子を受け入れると、先づ陰森の山洞内に置き、大自然の寒気や陰気を受けさせ、夜中の暗い時に山上にて静座させる。老降頭師が横でいちいち術を学ぶ奥儀を授け、真夜中の大自然の気を接受し、陰森で恐怖的なる各種の山洞内にあって、心理で以て恐怖を克服するの生活を体験させるものである。暗くて果てしなき長い境界中にて眼力を鍛練し、両目が真っ暗闇の中でも事物が観察出来るようになるものである。

 老降頭師は術を学ぶ者を引きいて墓場内に遊びに行かせ、墓場の上で寝らせ死体を埋めてある陰寒の気を吸収させ、どのようにして新しい墓を盗み取るかを教え、屍の屍気が体を侵すの苦しみに慣れさせ、山洞穴に戻って老降頭師は作っておいた薬丸で以て服用させて屍気を体内より外に追い出すのである。後日にその弟子が屍を盗みに行く胆っ玉を作るものである。

 凡そ初めて入門して降頭術を学習する人は、「降頭術士修練秘訣」のこの初歩の入学の課程を必ず経過しなければならなく、その後に始めて降頭術の術法が施放出来るのであって、先づ神鬼に十分感応出来る力を持ってこそ、神を駆し鬼を役する事が出来、種々の凡人が不可能なるを可能と出来得るようになるものである。降頭術士の修練秘訣の次第は精神の力の増加に外ならず、霊光の活力を拡大させてあざやかに輝かせ発光させ、そしてその経文・咒語を施用すれば、神を駆し鬼を役する不可思議なる法力が持てるようになる。霊光はまた毫光とも呼ばれ、どの人しを問わずその頭上には全てこの種の霊光があって、適当なる修練を経た降頭師、或るいは術士、或るいは道士、或るいは和尚等はその霊光が頭の上であざやかに輝きそして光りを発している。この種の光りは丁度紫外線と同じで、普通人の肉眼では見られないものであり、それは又精神の強壮なる一種の表現である。

 通常降頭師が人と法カを闘かわす時、或るいは施法する時には大多数この修練した霊光を利用し、相手の住所に放射し、相手の毫光を襲撃しに行き、或るいはそれの力を使って神鬼を前に来させ命令を発して駆使するものである。霊光の修練法は日月の霊気を吸収する法であって、この法門は経文施咒によって施行され、即ち有効的に監気を吸収し、霊光を増強させる境地に到るのである。

 降頭術の中で最も神秘なる法術とは養鬼の術であって、この二十世紀の時代の中で科学がこれ程までに発達しても、しかしこの種の原始社会の養鬼の遺風が根強く根深く保留されていると云う事である。巫師は通常一個の鬼を飼養するが、もしも法力が高く強き者は同時に多くの鬼を飼養しそれらを使うのである。これらの鬼は全て巫師の符咒のもとに屈服し、慣れ従う事小羊と同じであって、これらの鬼は家の中に飼養されているので、「家鬼」と呼ばれる。

養嬰鬼「波降」「畢利錫」

 舌を割きて練製す。
 各種の鍛練を経過して後に降頭師は、その弟子に各種の養鬼の方法を教へる事から開始する。先づ以て養嬰鬼(子供の霊)の法を授ける。老降頭師は、その弟子をひきいて民間に潜入し、どの家で赤ん坊が生まれて一日も生きないのに死んでしまったのがないかという様子を探り入れ、その赤ん坊の死体がどこの山の墓場に埋められたかを探り当て、真夜中人が誰も知らない時に埋葬してあるとこに到って赤ん坊を掘り起こし、小刀で以てその子の舌先を切り取って、陰森の山洞内に持ち帰って法術で以て練製するのである。
 それをして嬰鬼(家鬼)のよりしろとするのであって、その後一個の柔らかい椰子の実を選んで道の分かれ目の所にそれを置き去って、二日を経過してからその椰子の実を山洞に持ち帰り、そして強火で以て椰子を焼き、椰子油を流出させで瓶の中に椰子油を入れ、そして練製した嬰児の舌先を瓶の中に入れて椰子油の中卿浸すのであって、そしてその瓶は臘を使って密封し、ある所の天地の気がある場所を選んで、瓶をそこに埋め、三十時間を経過してから、その瓶の中に入れてある嬰児の舌は即ち家鬼の寄りつく所と成るのである。

 降頭師は再び椰子の木によじ登って別の一個の椰子の摘み取り、椰子の肉を全部すくい取り、小さな銀盤の中に入れ再び道の分かれ目の所に置いて、ある日にちが経過してから別にもう一つの椰子の皮とカラで以てそれを煮詰める。煮詰めてから椰子油の油液となった物を前の嬰鬼の舌を入れてある瓶の中に入れ、三つの鶏卵をもその中に入れる。この三つの鶏卵には小穴を開けてあって、瓶の蓋を開けて家の軒下にぶら下げて置く。昆虫が瓶の中の鶏卵の中に入り込み鶏卵を食べるようにするのである。

 降頭師は瓶を検査して、真夜中に椰子の葉七本を束ねて作った小さなホウキで以て、その瓶の周囲を打ちつける。毎日このようにするのである。瓶内の鶏卵が完全に昆虫に食べ尽くされるのを待つが、未だ完全に食し終わらない内に瓶の蓋をして昆虫が飛び出せないようにする。これの小さな昆虫は即ち嬰鬼の化身となり、俗に家鬼と称する。
 この家鬼(嬰鬼〉を畜養するのが成功してから、降頭師はそれに鶏卵や檳榔の樹葉等をそれの食事とする。これの家鬼を降頭師は人の治病をしたり、霊感占い等をしたりするのであって、家鬼はまた財産を保管し、忠実に主人のために努力するのである。
この家鬼を「波降家鬼」と云う。

蟋蟀シッシュツ

 美女に化身  降頭師は若い蟋蟀(キリギリス〉を掴まえて来て、若くて生き生きした物であって、法術で以て女鬼の鬼魂をキリギリスに附けるのである。この種の蟋蟀は放出された後は、多くは夜中に蟋蟀の怪声を出し、民家に突然に入り込み美麗なる女性にと化けるのであって、若き婦人少女ともなる。人を見ればクスクスと笑い、その笑う様のなんと妖艶なる事か、好色の徒は往女にして騙され、鬼に迷わされる事となるのである。

 この類の鬼怪は女性が変化して成った物で、人は「蟋蟀女鬼」と称する。それの食料は何かと云うと、産婦の血液を吸うのが好きで、往々にして多くの産婦はこの類の鬼怪の攻撃に会って体の血液が舐め吸われるのである。降頭師は鬼魂を大きなキリギリスの身にとり憑ければ、キリギリスはその法術によって操縦されて千万もの小鬼と変化するのである。その体型には伸縮性があって、大きくも小さくもなり、もしも運気が衰へている時などには容易にこの類の小鬼に出くわす事がある。大多数は辺ぴな所や荒れ果てた墓場地帯や、ある時には又小さな町の中の幽霊屋敷、暗い路地の所にてもこれが出現したりする。
 民間では之を「畢利錫家鬼」と称する。

 降頭師が鬼仔(子供の霊)や或るいは鬼物を使うのは一種のいつも見慣れている事柄であって、また十人の降頭師の中で即ち七人までがこの門の法術を密かに行っているといっても良い。原因は降頭師となる者は能力の範囲以外に出来ないと云う事はないと言われるようにならなければならない事で、人の生理や心理方面をの問題を包括し、これらの鬼物の力を借用しなければならなく、生理とは鬼霊の力で以て相手の生理を狂わせ、悪病を急に生じさせたり、或るいは鬼物に相手の体の中に潜り込ませて、その血を吸い取り、苦しみのたうち廻らせて死に到らしめたりする訳で、これらは医学上では完治出来ない事である。
 心理とは鬼物をやりつかわして恨みの魂が命を頂戴するが如く、昼や夜中を問わず随時に出現して相手の魂魄を破壊するのが目的であって、気持ちをどん底まで落とし込み昏乱させ、恐怖に打ちひしがれた状態等によって発狂し急死する。
 当然鬼仔や鬼物を畜養するもうーつの良き所は降頭師本身の安全を保護するにあり。

秘伝「降頭鬼仔畜養法」

 先づもの静かで、人跡が余り到らない場所を物色して、鬼仔を畜養する培育場所とする。同時に一株の健全なる柳の木の苗を探し取り、年は十八~二十五歳に至る間の新婚の婦女で、初産する所の男性の胎盤一個を尋ね取り、寄るになってからそれらを以て定めておいた場所に行く。あらかじめ用意してあった「培畜布符」で以てこの胎盤を包み込み、三十七センチ程の深さの穴を掘って、この胎盤を穴の中に埋め入れ、その後に柳の木の幼苗を植える。白いロウソクー本に火を点じ、地面の上に座ってから、手は「祭法訣」の印を結び、眼は木の苗を注視して、口には「畜養咒」を念ずる事百八回。四十九日以内に毎晩夜の十一時になってから祭法を開始し、四十九日が過ぎてからは七日間毎に一回行う。

 このように柳の木を植えて三年以後の第七日目、夜の十二時に術者は柳の茎を切断するが、針で以て右手の無名指の指先を刺し、血を七滴ほど柳の木の上にたらし、手は「祭法訣」の印を結び、口には「収魂咒」を念ずる事百八回。そしてこの柳の木を切断するのであって、偶数日を選んで全身裸の正立している童子の形を彫刻する。高さは約十五センチの木像で、祖師の壇の下に置く。朝晩必ず牛乳一杯を与え供養する。夜の十二時になってから真心をこめて祖師を拝み、「請師咒」を念ずる事百八回。手は「祭法訣」の印を結び、そして「収魂咒」を念ずる事百八回。
 このようにする事四十九日にして効果が発生する。この四+九日以内に前面の祭法が終わってから、目は童子を凝視して「通霊咒」を念ずる事百八回。童子を外に置きて月の光の下にて精気を吸収させ、さすれば後日に物事を行う力が備わるのである。

 このように四十九日が円満に終われば、口の広い瓶の容器の中に椰子油を注満して、木童を容器の中に入れて、祖師の壇の下に置いて供養する。 瓶の容器の下には必ず「畜養符」を置いておく。

鬼仔を駆使する方法

 畜養した鬼仔を現してから命令を聞かせるには、術者は木童の前で一本の白いロウソクに火を点じ、手は「祭法訣」の印を結び、「駆遣咒」を念ずる事七回にして鬼仔は形を現し、その後に物事を行うとする事柄を詳細に述べれば、その鬼仔は命令を受けて術者の為に事を行うのである。

奧伝「降頭鬼物畜養術」

 降頭術で養鬼の術法が最も凄いと見られて居り、多くの養鬼や練鬼の方法があって、これらの鬼霊中の中で、事を行う能力が最高で破壊性が最強なるは、柾死(殺害や災害等で死んだ非業の死をとげる事)した怨みある霊を畜養する事で、いわゆる怨みはらさで置くべきかと云ったこの種の鬼魂が一旦捕らえつかまえられ、そして祭練して慣れ従う以後には、限りない法力を発揮するものであって、以て彼等降頭師の護法にあてるのであり、術者の安全を保護したり、練法者の従者にして、人生の困難や雑務、調査や治療、招財、安全、和合、人を増やしたりする等で、人はいつも心理上或るいは生理上にて不可思議なる現象に会った時には、即ちこの一類の降頭師に教えを乞うもので、ただ彼等のみがこの種の神通広大なる本領があって、人に発財させたり、邪気を追い払い、人の死期及び運命の盛衰等を断知する。或るいは朝に夕に某種の人の仇敵に禍をもたらす等である。

「降頭鬼物畜養術」の祭練法

 それは年が若くて非命に死んだ人を探し出す事で、車の事故であったり、殺されたり、重大な刺激で自殺した等で、一旦類似の凶死者で埋葬しても七日を超過していない者を選ぶ。真夜中の十二時前、一人で密かに道具及び祭祀に使用する品物を揃えて、死者の埋葬してある場所に行く。この場合は土葬であるのが条件である。

 簡単にその課程を説明すれば、先づ九十センチの長さの青竹を死者の墓前の少し遠くの地面にさす。そして三メートル六十センチの長さの縄で以てその青竹の周囲を丸く囲むようにする。之は術者を保護する基壇となるのであって、術者はその円の中に座って静座をする。そして大きなカメを墓の前に置き、二メートルもの長さの青竹の先を削り取って、墓の中央に向かってさす。棺に触れるまでさすのである。そしてすぐに基壇の中に入って静座をして、手は「祭法訣」の印を結び、護身経文を念ずる事三回。すぐに「拘魂経文」を念じて幾ばくかしない内に陰風を感じ取って、体に吹きつけて来るので毛髪は逆立つのを覚え、陰風が吹いた後に青竹をさした墓で煙が立ち昇ってきて、大体に於てハッキリとしない一筋の影が見られ、それはムズムズと動いている。
 これが所謂召請した鬼霊がもう来ている事で、鬼霊とは一種の感情がなく、且つ悪賢くて恐怖のする物体であって、それの攻撃力はとても強い。
 この時から鬼霊対術者の闘いが始まるのであって、鬼霊は術者につかまらないようにと必死に攻撃に出て、ありとあらゆる手段を使ってくる。しかし鬼霊は基壇の中には入って来られず、もしも術者が基壇の外に出ると鬼霊にとり殺される事になるであろう。

 戦い終わって命令的口調で以てカメの中に入れと命ずる。術者はすぐに「拘鬼霊符」を取り出してカメの蓋をして逃げ道を塞いで逃走出来ないようにする。日の出前に予め場所を決めておいた適当なる場所にゆき、カメを木の根の空間の所に置く。そして夜中の十二時になってから白いロウソクー本に火を点じ、力メの前にさす。鶏卵六個を横一列にロウソクの前に置く。手は「祭法訣」の印を結び、「護身経文」を念じて、利刀で以て黒い雄の鶏の頭を切るが、手は鶏の首を持ってカメの上にしたたらせて、之に供養するわけである。凡そ鬼霊に食べられた卵は翌日には卵はそのままであるが中味が無くなっている。百八日以内に風雨が来るとも怠る事なく、満期になるまで行う。

 以上が終わってから再び新しい黒い布で以て新しいカメを包み込み、両手でカメを持って家にカメを持って帰り、密室の中に安置する。毎晩夜の十二時になって、例の如くにお碗に米や食べ物を供え、水一杯、鶏卵六個を之に与えて供養する。そして「祭魂経文」を一回念じてから席を離れる。七日毎に黒い雄の鶏一羽をその場で殺して、カメの前にあらかじめ用意してあったお碗の中にその血をたらして之に供養すると、翌日になってそのお碗の中の血は一滴も残さずになくなっている。いつも満月の夜には術者は、その鬼霊を外に出し自由に活動させる。月光り輝いている精気を吸収させるわけで、それは鬼霊の活力能力を増強させ、後日の事を処理する効果に大いに有利となるからである。

巨鬼―法力強大

 巨鬼は法力が充分強力なる降頭師のみが畜養されるもので、ただ体が巨大だけではなく、その力も非常に強く民間を混乱させる事実にさまざまであったが、過去四・五十年代には已に跡が絶えている。多分、老降頭師がその一代下の若降頭師に残さなかったためであろう。この類の巨鬼をとりしまる方法は符咒が主であって、もしも符咒の法力が強くないと仲々とりしきる事が難しい。もしも征服されるとそれは一生懸命に服従するのである。この類の符咒は「駆魂大法」をも包括し、法力が人たび出るや、駆使した鬼魂の体型が三メートル、四メートル五十もの高さになり、さながら巨人が前に立つが如くで、錫を採掘していた昔の時には、いつもこれらの巨鬼が出現して採鉱の人達の仕事を邪魔していたので、後で彼等は中国茅山法術で以て之を破除したとの事であった。

土地鬼ー火を用いて駆走

 土地鬼の顔はみににくて十分恐怖のある顔で、もしも人がそれにゆきあたると、みなければまだいいが、一たび見てしまうと驚きで震え出し、顔は蒼く唇は真っ白となり、その鬼怪は凶暴で鬼の爪で以て傷つける。引っかかれた体には鬼に引っかかれた傷跡が惨くつき、鮮血が流れ出す。人々が大火で以て救いに来て土地鬼を追っ払わないと、その命は保ちがたい。大火で以て之を照らすと土地鬼の原型は現れる。それは泥土で作ちれた物で、凹凸が一定していなく、恐怖の鬼の顔、鬼の手等、形は非常に恐怖的である。

降頭術「迷魂降」

 迷魂降とは一種の人の魂を迷わすの術であって、人の本性を迷わせ、人の性格をも変え、静かなるを好む人と雖も動く事を好むようになる。迷魂降にあたった人は、その人自体の中心となる思想がなくて、ただ人の命令を聞きてなすがままになる。此の類の術を作成するには、降頭師は相手となる人物の写真や生年月日を必要とする事なく、又髪の毛や着物、アクセサリーの類をも不要である。この類の降頭師が作成する一種の迷魂の薬物は、ただ相手に服食させたのみでその効果が発生する。大多数は女性或るいは少女の体に使用されるのであって、此の種の薬物を服食する規律としては三日に一回服食する事で、降頭師は壇を開き、作法をし咒を念ずるのであって、咒を利用してその人を控制するのである。
 昔にあっては降頭術は大いにその実用性があり、いや現代の社会が不安なる時、特に戦争にあってはその力が大いに発揮する。昔では迷魂降は女性を利用し、相手の敵国の情報を知る為に用いられ、現代でもスパイ活動では金銭、女性を使って情報を盗み取る事が行われている。

 さて現代の迷魂降は悪の方面に利用されて、女をダシにして食っている人、女のヒモとなっている人物を中国では「吃軟飯的人」と云うが、そういう連中がこれらの方法を使ってに手段を選ばずして少女を迷わせていき、そして控制し操縦し、バー、トルコブロ(ソープランド)等に働かせ、更にはコールガール、夜の女として金を稼ぎにゆかせて金の成る木としてこき使うのである。邪悪の降頭師が此種の迷魂降を作成する代価は相当高い。降頭師は出来上がった小さな包みを求める人に渡し、その人物はあたりの年若く美人な少女を物色して手をつけるのであって、一回で迷魂の薬物を飲んだ少女は、最早既に迷魂降にかかり、彼女の本性はなくなってしまい、彼女自身が誰なのか、どこから来たのか、名前は何なのか、父母は誰なのか等、皆んな忘れてしまい、ただ目の前のこの男性が彼女の男と云う事を知るのみで、その少女が処女ならば、惜し気もなくそのバージンを男に捧げてしまうのである。
 後に迷魂降は少女の体に潜伏し、彼女の理性を段々と侵してゆき彼女は男の虜となって、男がどんな事をさせようとも、彼女はいちいちそれに服従するまでになってしまうのである。彼女が男の為に金を稼ぎに行き、男の性慾が起こった時、彼女は男に出来のだけの力を以て男に奉仕するのであって、迷魂降にかかった少女の何と悲惨なる運命であろうか。もしも少女の父母や家族の者達が発見して、男のもとに談判しに行ったとしても彼女はこのように言うであろう。「私は彼を愛しているのです。彼は私の男です。私は心から彼と一緒に居たいのです。家になんか帰りたくありません…」家族が無理に彼女を家に戻したのならば、悲劇が発生する恐れがある。彼女は精神に異常を来し、厳重なる場合には体を切り裂き血を流し自殺するであろう。

 或る一人の青春に富んな美人の女の子がいた。その子は男に連れてゆかれて秘密的に男達に体を売る生活を強いられた。その事をその兄が見つけて、後をつけてその秘密の場所に入りその妹のアレンを見つけ出し、彼がアレンを大広間に引っ張り出した時、そのアレンが言うには、
「私、ミッチェールと一緒で大変嬉しいのよ。彼も私を愛しているし、私も彼を愛している。私達は本当に心から一緒になりたいのよ。誰がどうこう言う事があるのよ。フウーン、家になんか帰りたくない」
と叫んだ。アレンの兄は全身から火の煙が立ちそうで、
「お前があのろくでなしと一緒でいい日を送っているのか、あの野郎がお前をこんなにして、三分は人のようで、あとの七分は幽霊のようじゃないか、速く速く俺と一緒に家に戻ろう」。
 アレンは、「家に戻すなら、私死んでもいい」と大声で叫んだ。バァーンとアレンは兄に殴られ、彼女の左ほっぺたには五本の指跡がついていた。と同時に怒り手を伸ばして彼女は兄の顔に向って引掻こうとする。全く以て気違いのようである。彼は目が青光し、自分に向かって反撃して来ると云うには屹度何かおかしい物にやられたからであると気付き、いつものアレンはこんなではないと、それですぐにその秘密の場を離れ家へ戻った。彼は今しがた発生した事の経過を康おじかんに喋った。康おじさんは社会経験が豊富なので、それは今ある一種のインドネシアの迷魂降だと知っていて、アレンの兄に
「私があなたの妹を思うに降頭の類の邪気にあてられたからで、それであなたを恐れず、反撃して来たのだ。聞いた所によると女を喰い物にする連中はインドネシアの迷魂降を使って女子を誘惑するとは知っていたが、それであるかは知らないが、あなたの妹もこの類の降頭にやられたのだ」。
 康おじさんは一回溜め息をして、又言うに
「私に一人シンガポールの法師を知っている。君の妹が救へるかやってみよう」。
 アレンの兄は
「事は遅すぎるのはよくない。今晩私と一緒にシンガポールに行って下さい」と言った。
 法力の確かなシンガポールの法師と会ってから、詳しい事情を話し、シンガポールの法師はアレンの生年月日時間がいると言ったので、アレンの兄は書いておいた生年月日時間を手渡すと、法師はすぐに線香を供へ、ロウソクに火を灯し神憑りを開始した。手指が微動して即言うには、
「あなたの妹はまだ新山に居る。まだ移ってはいない。明くる日の午後二時あなたはこの場所で彼女を見る事が出来る。或る人が彼女をそこまで乗せてゆく。我女はそこで彼女を待伏せしよう。私にある方法がある」
 時間が来ると確かにフォードの車がアレンを乗せて来て、潜んでいたアレンの兄や友人は突襲して出て、アレンが車を降りるや否やアレンをつかまえた。言うは遅くとも行動は早くシンガポールの法師が法水をアレンの頭や体にたらすと、アレンは気絶してしまった。この時ミッチェールは皆んながアレンを取り囲んでいるすきに、逃げるが勝ちとアクセルをふかし、車で逃亡した。法師は念じてアレンの元気や元神(精神)を保住させて、アレンを車に乗せるよう人に命じて、シンガポールのその神壇に運んだ。それは、神壇の中では相手の降頭師の法力がかかってこようとしないからで、門の霊符が邪術が攻め入るのを防げられ、アレンは五昼夜壇の中にいて、法師の咒を念じ降頭を解く作法を経て、駆邪の符水を飲んで、終いには夢の中より醒めたようで、本来の自分を回復し、眼に力があって、此れより魔手を脱離した。アレンの兄はシンガポールの法師に
「何であんな連中がこんなにた易く少女に向かって出来るのか」
と尋ねると、シンガポールの法師の解釈には、彼等は専門に女をダシにして飯を食っているヒモ野郎で、男前で、最新の服を着て、有名な時計をはめ、金の腕輪、有名な車に乗って、それは組織のある者達で、資産家の息子だと自称している。専門にシンガポールやマレーシアの大都市で専門に無知なる少女を物色し、一たび食べるのが好き、遊ぶのが好き、虚栄心が重い、流行のものをやりたがる、ディスコをこよなく好きな女の子を探り出したのならば、先づ最初は彼女達に知り合いになる為に友達の紹介などをしてもらって、彼女達をナイトクラブやディスコに連れて行き、彼女達にビールを飲む等をすすめるのであって、それは暗い所で彼女達の酒の中にその薬を入れるのであって、このようにして迷魂降にあたるのである。迷魂降まさに少女の天敵であって、防ぐにも防ぎようがないと云うものである。

 降頭術に「降頭愛情香水法」と云うのがあり、この香水を一たび異性の体につければ、すぐに反応が現れて、つけられた相手は好感を持ち、遂には体を許すといった効果抜群の香水法なのである。今の麝香とか何とかの液から抽出したエキスで、これを女性に使えば万能だと云う何とか薬なるものが週刊誌の広告等で大いに宣伝されていたり、西洋の魔術でも似たような物があるが、それとこれとは全くその効果を異にするものである。そもそも正派の降頭師はその習得した降頭術をむやみやたらには使わないし、愛情法にしてもその本人と縁があるかないかを先に見る。
 降頭の魔力で以て相手をこちらの思い通りに操ったとしても、最後には別れると云った悲劇になるのであるし、降頭の黒咒術を使って相手に害を加るにも、それを本当に使っていいものだかと云う事を先に調査してからで、軽々しく人の要求に応じないのである。好きな相手がいて、その女性は自分の事を余り思っていなく、その女性は別の男性とつき合っている。それは必ず悪い結果となるのがわかりきっているし、その女性を本人が真心から愛している場合とか、夫妻が仲違いをして睨み合っている場合とか、家庭不和、夫が愛人をかこっていて妻をないがしろにしているとか、妻がきつくて男の言う事を仲々聞かないとかいった場合に使用されるのが良いであろう。

 「降頭愛情香水法」は香水の瓶の中に「降頭符」を入れ、真夜中にて昼にあらかじめ決めておいた場所にその香水の瓶を埋めに行くのであるが、しかし目的地まで誰に見つけられても駄目であって、埋めてから又家に帰るまでも又誰にも見つかってはいけない。そうして四十九日が経った日の真夜中に又それを取り出しにゆくのであるが、ハンカチ、塩、米とを用意して、その埋めてある所を注意してスコップで掘り起こし、香水が見へたのならば塩と米とを撒き散らし、ハンカチで以て香水の瓶を包む。そして香水の瓶を開けて左手の薬指の血を一滴香水の中にたらし入れるのである。これが世にも名だかき「神秘降頭香水」であって、此に至って成功はほぼ近しである。
 もしも片思いで悩み苦しんでいて、相手の愛がかち得ない場合には、その香水に向かって「降頭咒」を論する事四十九回。かくの如く繰り返す事四十九日間、雨が降ろうが一日も休む事があってはならず、さすればその香水には既に魔力が備わり、その出る匂いは相手の女性、男性に対してウットリとさせるようになり、この香水で以て相手の体に付けると、愛情の気持ちが生じて事が成就されると云う事である。

 「降頭法油」と云うのがあり、これは非常にその調合が難しく、比較的邪門であって、これは又前述の「愛情香水」よりもその効果が強い。この「降頭油」をホンの一滴・密かに女性の体のどこかに付ければ、十分位してから完全にその支配を受けると云った具合である。
 これは妊婦の故あって死したる四十八時間以内の死体より取れし物である。タイ等では普通火葬が主であるが、特に凶死をなした場合には土葬されるものであり、今は昔と違って衛生設備に格段の差があるし、この「降頭油」を作るのは年々難しくなってきている。さてその墓場にゆき、線香・ロウソク・お花等を供へてお祭りをし、そして墓を暴き死体を取り出すのであるが、縄で以てその両手両足を縛って、そしてロウソクで以てその女の死体の下顎をあぶって、「降頭咒」を途絶える事なく唱へてゆけば、下顎より油が流出してくるようになる。
 その流れ出た一種の下顎の油を瓶の中に入れ、死体を又土の中に返し、降頭師はその瓶を持ち帰り、再び施術し、四十九日聞の加持によって、世にも恐るべき「降頭油」が誕生するのである。他人の体に付ければその本性が変わり、善人なる人も悪人と成り、貞女も淫婦に変わってしまう程の強烈なる物である。

 「紅赫扣降」と云うのもあり、或る年、ペナンでーつの奇妙なる愛情事件が発生した。事情の起源は一人の金持ちの商人に美人の娘がいて、そこの年若い店員に惚れられたのである。本来は平凡な出来事に過ぎないし、彼女はそれに構わないでおくと良かったのだが、若気のいたりで言葉に出して罵ったために、この青年の店員の心には愛情が怨みとなり、必ず「愛情降頭」で復讐してやるのだと思った。暫くしてその作用が発生し、 彼女は一八〇度の急転回をし、この年若い店員をいつも訪ねて来るようになり、かくしてある一時期が過ぎてから、終いには彼女は父母に彼と同居するとまで言うようになったのである。
 「紅赫扣降」とはその名前より推して知られるが、それは赤い紐を甲い、神秘なる経咒を施してその情人の心の扉をきつく永遠に術を放った者に思いをつけさせ、彼、彼女を一刻も忘れ難くするのである。降頭術と云うものはどの降頭術をとってみても行うのは容易なる事ではないが、これとてもそうであって、先づ木で以て相手が男であれば男の形、女でおれば女の形を彫刻し、そして赤い紐で胸部をグルグルと縛る云うのが準備段階である。祖師の前に供物等をならべ、夜の十時になって行法を開始する。「拝師咒」を念ずる事百八回、木人に向って「扣心咒」を誦する事百八回、縛りつけた赤い紐に向って「結縁咒」を念ずる事四十九回、一回唱へる毎に赤い紐に向かって息を吐く。

 以上が終わってから秘師の霊気を吸収する事二十分間、そして相手が段々と来て、術を放った者と親密なる情景と同時に相手が赤い糸によってその心を縛りつけられると観想する事二十分間にして終へる。このように連続する事七夜にして連日の加持祈祷によって術を放った者に対して微妙なる愛情が生じてくるので、神台に置いてあった赤い糸を焼いて灰にして相手に密かに飲ませるのである。
 成功して四十九日経ってから、木人は屋外の北の方位に埋める。もしも仮に何の反応も見られない場合には、改めて「催咒法」で以て同時に修法するのである。
 この種の術法を施すと、往々にして被術者は食事を忘れ、眠るのもやめて、坐っても立っても不安一杯になり、頭の中ではいつも術を放った者の影が浮かぶようになって、自動的に術者のフトコロに飛び込んでゆかなければいけない結果となる。

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