狐に関する霊現象

年月日

一、ウドンが眼の前で消へる

 帝都のかみ大崎の鉱山家、○○三朗君の体験談から書こう。

 君の学生時代には毎年、夏期休暇には数名の同窓と田舎いなかの山河を跋渉ばっしょうして、健康を練るのが慣例かんれいであった。

 或る年の夏に、無銭旅行をやって、東京から茨城、宮城の二県を経て岩手県へと入り込んだことがあるが、昼は畑の作物や百姓の裏庭の果実など失敬して、腹をつくり、夜は蚊の少ない野原や、古い社寺の殿堂などへもぐり込んで寝た。

 日の夕方であった。気仙郡の某農村を通過するとき、或るお茶屋の縁側に休息して、一碗ずつの番茶をめぐんでもらった。その時フト店の次の室を見ると、白髯しろひげを生やした一人の老翁が座っていて、箱膳に対してうどんを食べているのであったが、その老人はギロリと目を光らして無銭旅行の連中を一瞥いちべつし、オイおまへらは東京からやってきたであろうが、銭を持たないで出て来て、百姓のものを荒らし回り、太い野郎だと言った。

 連中は図星ずぼしを指されてギクリとしたが、何言っているのだ唐変朴とうへんぼくとやり返すと、馬鹿言うな、俺はチャンと何事でもわかっている。貴様らは昨夜は水車場の中へ入って、生米を食い、せき川原かわら)の中で寝たではないか。今日はまた一人のやつが下痢腹を病み出いて、医者をさがしたではないか、みな何もかも知っているぞと叱るが如くに言った。

 連中はいよいよ驚いて黙ってしまったが、妙な隠居だと半ば好奇心にられて、その様子を身守っていると、老人は今度は何事かしきりに独り言を饒舌じょうぜつ(良くしゃべる事)しながらウドンを食べるのであったが、何度となく『ああ五月蠅』を繰り返して、箸の先ヘウドンを引っかけて膳の横やむこうへ投げつけると、見る見るそのウドンが畳の上で、片っ端から消へ失せる不思議さ。

 連中は非常に驚いて、此の老人は手品師だなあと、思うと老人はたちまち此の方へ眼を向けて、オイオイ俺は手品師なんかぢゃ無いぞ、さまらは悪さをすると罰を当ててやるぞと言った。

 連中はこの一言に激昂げきこうし、罰なんかてられるなら中てて見ろと詰め寄ると、オーオてて見せると傲語ごうごして、かたわらの箱の中から一尺余の御幣ごへいを取り出し、両手に捧持して何やら祈りの文句を唱え出すと、やがて御幣がバサバサと大いにふるへ出した。そして御幣は動もすれば老人の右の肩の方へかたむなびくのであった。

 『こりゃあ、いかん』と言って、老人はしきりに御幣を取り直して猛烈な祈りごとを奏げるのであるが、依然いぜんとして御幣は連中の方に背いて老人の右の肩へとたなびかたむくのであった。

 遂に老人は御幣を捨ててしまい、今日は貴さまらの方がいきおいが強いのでだめだ、と言って、アハハハと笑った。連中はどっと笑って勝鬨しょうこう(勝ちどきの声)をあげたが、後で聞くと、彼の老人は稲荷行者であって、その使役する飯綱いづなが欲しがるのでウドンを投げてやったのだが、飯綱はその実体をみだりに他人に見せない魔物だとのことであったので、若い者も現実に、それらに接見したので驚いたと話してくれた。

二、五円紙幣が飛んで来る

 浦和の実業家の佐○合雄氏も、数年前その実見談としてさの話しを聞かせてくれている。

 或る日、町内の某を訪問して対談をしていると、次の室から、五円紙幣の二つ折りにしたのが現われ、ヒラヒラと畳の上五六寸ばかりのところを飛んで来て、主人の膝の上へ来て止まった。そのとき主人はややあわてた様子をして、その紙幣を取って、グルリと佐○氏へ背を向けたが、ふところからがま口でも取り出してその中へ紙幣を収めたらしく、そしてから、元の姿勢に向き直った。

 氏はこの奇怪なことを見たので黙過もっか(知らないふりをして、そのままにしてしまう事)する気になりかね、貴君はかねがね評判の良くない人間であるが、唯今ただいまのはいっタイどうしたものか、たねあかし玉へとつめよったので主人は頭をかきながら、見られた上はくすものではない、実は尾崎狐がんできてくれたのだと言った。

 氏はそこで、その狐は貴君が飼っているのかと追窮ついきゅうをしたら、飼ってはいないが、るのだと答へたそうだ。白昼に氏の眼前へ来ていても、その形体が氏には見へない怪事であったので、氏はヒドク奇妙がって編者に話した。

竹川註

 二十代の初め頃、私が梅田の地下の阪急百貨店の前にあった古本屋にて修験道関係の秘伝書を買った事があり、その中に稲荷神伝の霊感術があり、霊狐使役法の一密伝であり、稲荷の印を結び稲荷の秘文を唱え、招霊の秘印を結んで呪文を唱へ、降神秘術を切ってから神伝顯憑の秘印を結びながら顯憑大呪文を唱へてゆくと、結印せる手腕に霊動が起きると同時に、意識がボーッと不明になってきたかと思った瞬間、霊光一閃の如く、自分の脳裏深く神示されると云う物であり、実験的に試して見た事があり、トランプを何度も切ってから、その一枚を取り出して裏返して置き、自分には見へないようにして、そして例の如く結印呪文すると、頭の中にそのトランプが思い浮かんだので、そこでおもてを見ると、頭に浮かんだのと同じ番号であった。次に又同じ事を繰り返して又的中した。三度目は当たらなかった。もうその頃は当ててやろうという気になり、雑念が出てきたためであろう。

管狐くだぎつねを使う術もあり、やってみたいと思った事があったが、実際には明らかにその霊符が間違っている箇所があるのと、一昼夜に四回行ない、一回につき呪文五百遍(約二時間以上)を唱へるとあり、これを四十九日間行わなければならず、又場所が入り、燈明七個を昼夜を問わず、修法が終わるまでつけぱなしで、消してはならないと云う大そうな修法であるので行わなかった。

茶枳尼天だきにてんの修法もあり、これも土地を選び一室が必要で、一昼夜に三座宛修法し、一座は約二時間、これを四十九日間行うのであり、御燈明七個を供へ、修法が終わるまで消してはならないとの事。魚肉を食べてはならず、又その施法も管狐よりも複雑であり、霊気がわからなければダメである。

 この両法とも今だとわかるが、その当時は要領がわからない所があったので、これらの修法は行わなかった。又いづれも密教系なので余りやる気はなかった。

 神仙道道誌第四号に「俗に言う千里眼、天眼通と称するものも、何等かの修練を要せず誰にでも今日只今ただいまでも出来る邪法があり、これは狐の○を蔭干しにしたものを所持して短い呪言を唱へるだけで、その狐の○に同類が憑依して所持者の駆使に甘んじ、憑依する霊狐の腕にもよるが、ほとんど一、二分を出でずして調査報告して来るので、百発百中式の的中を示し、所謂天眼通にも似た奇跡を示すのである」と、これの使う方法は十数年前にまだ清水斎主がおられた折、直接に伝授してもらった事があった。

 清水故斎主のお話しでは、或る道士の人が一人四国のとある山に山籠りしていた折、フト或る洞窟があって、それを見ると、学生が数人座っていたのが見へたので、これは奇妙だと思ったので、一喝すると途端に狐の姿になり、走り去ってしまったとの事であり、狐は狸よりもバケるのがうまく、又、里とかに降りてきて人間を良く観察しておるとのお話しであった。

 十年位前に、大阪におられる会社経営のお方が申すには、お稲荷さんはスゴイ事をなさると言う。それは太鼓を叩いていた時に、その太鼓ごと体が宙に浮き上がったとのお話しであり、私はお稲荷さんを信仰はするが、家では祭りたくないと申す、それは返す方法を知らないからで、それを知らないと犬神のように子孫代々にまでくるし、又子孫がちゃんとお祭りしなければ災難が起こるからとの事であった。

 この人は当時インドネシアで仕事をしており、その関係でこの土地の女降頭師・呪術師と知り合いになり、結婚してくれとせがまれたが、しかし何を呑まされるかわからないので結局結婚しなかったとの事であった

 清水故斎主のお話では当時道士の人がいて、山籠りをしていて、そろそろ米がなくなるだろうと、それをその人の処に米を持っていかせた所が、その人は石コロを耳にあてて「はい、そうでございますか?笑」と言っており、頭がおかしくなっていたとの事であった。

 山籠もりは簡単にするものではなく、山には色々なる霊がうじゃうじゃといるので、力の無い者が行ってもその危険は大きい物である。