神仙道本部関係者(2)

年月日

神仙道の非常識男、塩○○

 この人物は高知の人間であり、彼の親父は高知の建設会社の社長であった。約四十年前に私が高知の神仙道にて清水斎主ご夫妻と居た時に彼等はやってきた。彼は当時結婚しており夫妻で来た。清水斎主の事はこの塩○はおじいちゃま、奥さんの事はおばあちゃまと言っていた。いちども斎主とか先生とか言った事がない男だった

 手紙のなかの福ちゃん、トラ夫とは猫の名前である。彼の嫁は静岡の人間であり、この塩○はそこの大学で知り合ったと言っていた。彼は清水斎主に何が欲しい、これが欲しいとか言ってそしてその資料を清水斎主が渡していた。

 この資料さがしなどは奥さんの役目であり、この塩○は彼は素人なので質問は出来ず、ただ伝書を受け取るのみであった。しかしながら渡したのはいいが、こいつは全然なにがしかのお金を払わずそのまま帰って行った。これには唖然とした。

 そして又二週間位経ってから、又彼等二人はやってきてこいつは又資料を要求し、又お金を全然払わずに帰って行った。清水斎主はお金の事は全然言わない人であり、彼はそこにつけ込んでいた。そこで私は各自生活があるので、お金をもらわないとだめですよ、慈善事業ではないのでと奥様に申しあげた。

 彼は社長の息子であり又結婚していたので当然収入もあったであろう。そこで奥様はこいつにお金の事を申すと、「神仙道はお金のある人だけを相手にするのか」と逆にキレてきたとおっしゃっていた。それから私は神戸に帰ってきてから、奥様にあれから彼は来たのかと聞くと、捨てゼリフを吐いてあれから来ませんと言っておられた。

 清水斎主が亡くなった葬式にも高知の人間でありながらこの野郎は来ず、又奥様の葬式の時でもこの野郎は来なかった。こう言う非常識な人間が何で神仙道の最後の弟子なのか、清水斎主より伝を受けたと言えるのか、まともな神経がない、このような人でなし野郎が、晩年の神仙道には多くいたのも又事実であった。

 手紙の中の「蘭満殿」「家災速辞」も金一封を払わず、松江の岡○とか申す人物にも勝手に蘭満殿の符及び授記を渡しているのが想像出来よう。当然これらは正式なる伝法とはなっていない物である。

手紙

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