ある人の奇門命理と紫微斗数
奇門命理
これは生まれた時間を必要とせず、奇門の生まれた日の日盤で以てその人の一生を占う物である。紫微斗数より詳しくは見れないが、ハッキリと出る物である。
奇門命理の日盤
保険に入っていたので、奥さんに約五千万円が入った。丁度大限では中宮であり、注意すべき宮であり、夫妻宮に当たっていて暗丙奇があるので奥さんに大金が入る事を示している。坤宮ともかかわりが非常に悪い。
疾厄宮は甲己で天地盤とも良いのであり、一見健康体に見え、又生門があって非常に良くそうに見えるが、実はこの生門はクセ物で、生門はこの坎宮では門迫であり、生門の力がない。生の力がないのです。子供は子女宮の辛己の大凶の通りで又生門の凶で子供はなし。
本人はお稲荷を信仰し、又狐に憑かれていて、霊能力があり、名刺を見ただけでその人はどういう人物であるか当てていて、会社ではなかなか重宝がられていた。
ある霊感者よりお前はガンにはかからないと言われたことがあったと、そばにいた○○さんは確かにこの耳で聞いたと言っていた。
紫微斗数
紫微斗数盤
この盤は先月、奇門命理で出した故、○○氏を紫微斗数で出した物であります。以上主だった星だけを書いてみた物であります。
この人物は○○の知り合いであり、彼の話によると...
中学生までは目立たない感じの子供だったらしい。高校よりファイトクラブ(ケンカの練習)の番長となり、自分が世界で一番強いと思うようになり、自分が一番えらいと思い込む。
高校卒業後、静岡の自動車修理会社に勤務。そしてすぐに東京に出て電気工事会社へ勤務、そこでも左官を石でなぐり救急車にて病院へ送るという事などが続く。
二十五才前後に芸能会社から誘いがあり、常にあとをつけられているという妄想が起こり、それと同時期にひどい腰痛になり頭が狂い、パチンコ屋で電工ナイフで人を刺し、無キズだったが精神病院送りとなる。三~四ヶ月で出て家に帰り静養する。
二十八才で豊橋に来て三十才まで住む。同時に結婚する。住む家がなかったので女の家にコロガリこんだ訳で、このころ小学生の三年の女の子が寄ってきて腰かけ、あそこをスリスリしたとの事で、奥さんが帰ってくると逃げ帰ったとの事で、この頃よりロリコンに興味を持ち始めたそうであります。
三十才に再び東京に出て勤め始める。
三十六~三十七才で転職して最後の会社に入る。そこでは人気者となる。四十才半ばにして霊能力を発揮して教祖となる。千五百人の会社で常務がじきじききて、じかに付き合ってくれといわれ、要するに参謀にしたかったわけで、平成元年の事、ある時拝んでいたのを○○が見ると狐ソックリだったので、それを本人に申すとそんなハズはないと否定したが、狐を拝んでいる霊感者が見ると、やはりキツネがついていた。本人は狐に見放されることをひどく心配していたと言う事でありました。
(註、狐が憑いたのはこの頃ではなく、若い時からで本人は自覚していなかった)
貪狼化禄の小限から変化し、コンピュータ室に入れられ、仕事は余り良くなかった。亡くなったのは平成十三年の二月節分過ぎ、陽歴の十日位だったとの事であります。
○紫微でガンを判断するには○○・・・であるが、この場合には疾厄宮に○○が入っていたので今後・注意すべきであろう。
大限で四十五より五十四才の身宮・官禄宮であり、丁度大限の分かれ目であり、この分かれ目にも注意が必要である。この十年では福徳・巨門化禄であり、大金が入る。財帛も太陽化権で、田宅は文曲化科、奴僕は文昌化忌、又夫妻宮は天機化忌であり、○○は父母宮にあって疾厄宮にはやはり〇〇が入る。
この十年・遷移宮には○○にはさまれて凶であります。亡くなったこの年・小限では卯宮にあってもとの夫妻宮であり、大限の辛と今年の辛年と重なり、二つ○○にはさまれていて大凶中の大凶であり、疾厄には又二つの擎羊があり。
話のついでではあるが、この亡くなった○○の事を○○と話し合っていた折り、次はあなたの番だねと私が申した。彼はそんなこと言わないでよと申したが、しばらくして彼からの電話で、知り合いと私が運転する車でレストランの壁にぶちあてたと言ってきた。
三十年車を運転しているが、あんな事は初めてだ、その時なにがなにやらわからなかったと言う事であり、私は彼に隣に亡くなったこのお人が座っていたでと言ったのでありました。