六甲霊飛伝

年月日

五岳真形と併存する

六甲霊飛伝の深秘

道系密付し来る二千年

 六甲霊飛之法(六甲霊飛十二事)の五岳真形図とならぶべき玄法上の由々しき位置に就ては従来道誌上に於て其概要を説けることあり。(往年、太上幽宮青真小童六甲文を受けたる士は其授紀中の記述を精読深思せらるべし。此六甲文の根元は実に霊飛十二事中の一法に発するなり)

 即ち道誌第四十八号神仙霊含記講究、六甲霊飛法の伝承 にいふ。

 「此六甲霊飛左右之符は五帝六甲霊飛左右策精之文とも五帝六甲霊飛招神符とも謂ひ、太上老君の代命たる青真小童君の掌り給ふ重符で、道を求め命を益す千端万緒皆な此術を俟て長生久視することを得と伝へられ、此霊飛法中招神十二事といふは衆霊を駆策し百神を使役するの法で、普通は十二識神と称する霊物を六甲六丁ノ日を以て招使する事から始めるのであるが、漸次使役法に達するにつれて随時随所に衆霊鬼神を策使し得るに至るのである。

 此霊飛十二事中の一法たる使役法には外感法と内感法とがあり、外感法は主として外在の十二識神を招使するのであるが、内感法は身内の感神を使役するので、其一例は本誌四十一号の第四面に収載した『六甲六丁の玉女』の章などを参看せられるがよい。

 尤も六甲六丁玉女のみの内感法ならば此霊飛法によらずとも他に二、三の所伝があり、前年一部の士に付嘱された太上幽宮青真小童六甲文などもあって、感想法による感神の結出と相まって霊応を示現し来るものであるが、此六甲霊飛十二事は全然感想法等によらず符験現前の畏るべき玄法である。

 此六甲霊飛法の伝承には唐土の道史にも誌されてある興味深い由緒があって、例の漢武内伝にも載せられてあるが、元封元年七月七日の夜漢宮に西王母が降臨せられた時、武帝(劉徹)が霊仙を慕ひ道を求むるの志を哀憐して王母は武帝に五岳真形図を授け、王母と倶に降臨せる上元夫人は此六甲霊飛十二事を授けているのであるが、水位先生も此時の授受を非常に重視して『漢武皇帝ノ世ニ至リテ至深至精ノ天機殆ンド洩レタリ』と手記して居られるほどである。

 此の授受に就ては青真小童君(少名彦那神)に於かれて極めて難色があったので、王母も慮らるるところありて「汝、五岳真形を授けんと欲せば董仲舒其人なり、六甲霊飛左右之符を授けんと欲せば李少君に伝ふべし。此二人は得道の者也」と相伝上の指示が行はれている。

 果せるかな太初元年十一月に至りて天火下りて栢梁台を焼き、五岳真形図六甲霊飛十二事一巻倶に炎上に帰したのであるが、以来人間出遊の仙客を以て此所伝は地上に相承伝行するを得たので、いま春秋二千年の悠遠の歳月を通して西没東出、遂に先師水位先生の手中に来り、更に既に五台山なる神仙道本部の竜窟に蔵するに至った奇しき由緒の跡は神霧漠乎として今を昔に辿るすべもないが、畏かれども玄霊秘術の本玄を掌り玉ふ青真小童大君の深き遠き御神慮の賜物と窺ひ奉る次第である云々。」


一、先師をして、至深至精の天機殆ど洩れたりと嘆ぜしめたるは、蓋し人間道士として許さるべき限界の最高を指摘し玉ひしものと窺はるるも、以て此伝の容易ならざる趣を知り得べし。

 其伝授の状景は仙人東方朔の承述に成る漢武内伝に詳かにして(神仙道誌第五十七号及五十八号玉条摘葉に収載)必ず読まるべきなれど、以下其梗概を撮要せんに、上元夫人、帝(武帝、劉徹)に語って曰く、王母今ま紫台の文を発し、汝に八会之書・五岳真形図を賜ふ、子、天命を受け神に合するに非ずんば此文を見ることを得ざりしなり、今真形図を得て其妙理を観ると雖も、而も霊飛左右之符を欠かば、何を以てか山霊を召し、地神を朝し、万精を総摂し、百鬼を策し、蛟竜を役すべけんや、子は偶々其一を知りて未だ其二を見ざるものなりと。

 王母日く、此の子、霊仙を求めて已まず、以て必ず得んことを誓ふが故に、科禁を緩めて特に之を与へたり。然れども六甲霊飛十二事のことは、此術眇邈たり。吾れ今既に劉徹に賜ふに真形図を以てせり、夫人まさに之に授くるに霊を致すの道を以てすべしと。

 夫人乃ち起立し、手に八色の玉笈・鳳文の蘊を執り、仰いで祝して曰く、九天浩洞にして太上耀霊たり、神照元寂にして清虚朗明なり、虚に登る者は妙に、気を守る者は生く、至念なれば道、至り、寂かなれば真誠に感ず、徹に六甲霊飛十二事を授けん、以て虚を歩むべく、以て形を隠すべく、長生久視し、白を還し青を留めん、佩びて之を尊べば永生を致すべし、此書は上帝元景の台に封ぜり、子其れ之を宝秘せよと。

 王母又曰く、汝、五岳真形を授けんと欲せば董仲舒其人なり、六甲霊左右之符を授けんと欲せば李少君に伝ふべし、此二人は得道の者なり云々。帝既に西王母及び上元夫人を見て、乃ち天下に神仙の事あるを信ず。

 また王母の言を承けて、元封三年を以て五岳真形図を董仲舒に授け、六甲霊飛十二事を李少君に授けたり。此二書の世に伝はることを得たるは、乃ち此二君に伝へたるを以て存するなり。


一、董仲舒及び李少君は武帝五仙臣中の二人にして、西王母の言の如く既に得道の士なりしが、而も此二仙士にしてなほ未だ五岳真形及び六甲霊飛之法を得るの天機に到らざりしは此内伝の記述によりても明かなり。

 五仙臣中には東方朔の如き元太上の仙官たりし高仙あり。(其伝は道誌二十二号にあり、必ず看るべし。)日夜斯る高仙真と親交せる得道の士すら尚ほ斯の如し、霊宝玄秘の伝授の天機とは実に斯くの如きもの也

 然るを今科禁を欠いて之を付嘱せんとする所以は仙才を待つなり、古仙いふ、塵心は滅し難く、仙才は逢ひ難し、仙の人を求むるは、人の仙を求むるよりも甚しきなりと。今一触にして千古難値の天機に際会せんとする者、夫れ深く道統の恩頼と師仙の付託を思へよかし


一、然れども茲に六甲霊飛法の十二事尽くを筆伝さるるとには非ず。道規仙掟を恐るるが故なり。今回筆伝を許されある範囲は、十二事の基本たる六甲霊飛左右之符の云写と之が施行法二事なり。

 仙経に曰ふ「韓偉遠ハ昔中獄ノ宋徳元先生ヲ師トシ六甲霊飛之符ヲ服シテヨリ道能ク行ハルルヲ得テ、九凝真人トナレリ」と。五岳真形図受図祭文に曰ふ「某ガ三尸ヲ除キテ書ヲ生籙ニ登セ、精光ノ真気ヲシテ常ニ身中ニ在ラシメ云々」と。

 水位先生の霊胎凝結口伝に曰ふ「六甲左右之符を服して三尸を除き、真一を守り九魄を制して真形図を窺ひ云々」と。韓偉遠が六甲霊飛左右之符を服して道術能く行はるるに至り遂に真人の位に迄進むを得たるは、実に此符験により三尸を除き九魄を制して真一を守るを得たるにより陽神の出殼を得たる結果に外ならず。

 三尸九魄を制して霊胎陽神と成るに非ざれば神仙たる事を得ざるは従来屡説の如し。韓偉遠は、恐らくは霊飛十二事の尽くを得たるには非ざりけんも、此左右之符を服したるより生録にも登せられ、遂に真人と成れるなりけり。

 また六甲六丁玉女法を概説せむに、道誌四十一号「六甲六丁の玉女」の条、仙人呂洞賓が玉女を出景せしむべく、丹朱活けるが如き一軸を柱上に掛けたりとあるは、実に此六甲霊飛左右之符ならんと思はるるなり。そは此霊飛伝十二事中に内感識神法(外感識神法も存す)とて此呂洞賓が仙伝に示せるが如く息を用ひて玉女を出入せしむるの施行法あるを以てなり。

 此識神(玉女)は元来人の身中に蔵るるところの感神にして神通を司り、人の霊なると不霊なるとは此識神の働用如何に係りてあるなり。此識神、霊飛之符気に感じて働用を起し身外に出景するに至り、吹気によりて出で、また吸気によりて入る、是れ施行法の概略なれど、茲に之れ以上説くことを許されず、詳しくは筆伝授紀によらるべし。


一、受伝資格
出伝人員に制限あるを以て受伝資格者を左の各項の一に該当する者より簡抜す。
イ・本部道場創建協力(雪・梅・竹・松各組)の道士は凡ゆる条件に最優先して受伝資格を有す
ロ・五岳真形相伝第一伝(五岳五帝真形図) 受持者
ハ・仙階判令の稟申を得たる者

昭和三十七年九月吉辰
神仙道本部