神仙気術伝

年月日

水位先生口伝 神仙気術伝 合巻

第一伝(筆伝) 青真小童大君(少名彦那大神)直授 朝行引気法
第二伝(筆伝) 杉山清定仙君(天之息志留日々津高根火明魂命)直授 夜行調気法
第三伝(直伝) 第一、第二筆伝受持者に対し、道場に於て斎主より直授口伝す

 仙家に気術を重んずる事は古今の道書斉しく之を説き、説きて尚ほ説き尽さゞらん事を懼るゝものゝ如くみな然り。而して其古来道書説くところのもの幾十法を数へて少功あるに似たりと雖も、其真伝に至りては夙に神霧隠微の裡にかくれて真文を失ひたるは先師水位先生の神仙霊含記に臞仙の語を引きて『要ハ師伝口授ニ在り、豈、敢テ軽々シク泄サンヤ。若シ是レ常人ノ伝フル所ハ絶エテ信ズベカラズ。若シ彼能ク之ヲ為サバ、則チ仙去セム。豈、盲師瞎友ニ学ビテ成道ヲ望ム可ンヤ。必ズすべからク異人ニフ可キナリ。』と示し給へるが如し。即ち古来道書文字を以てせず、異人(真人)より異人に口授せる仙掟の事実を知るべし。

 是を以て我神仙道に於ても、本部開闢以来之を筆伝に付せず、堅く仙掟を守り来れるが、愈よ道士待望の神仙道道場創建の業進み、神祇師仙の御啓導のまにまに用地購入実現し、本部(道場)事務所も移築完了を見、餘すところ道場屋舎施設に在りて、直授の霊畤実現も近きを予想さるゝに至りたるを以て、今ぞ門流有縁の道士に対し、其第一伝及第二伝の要旨を筆伝に付して自修に便せしめ、各自其自宅に在りて此気術伝によりて習練を積み、各伝順次の大要に暁通せしめ(本法は実に其順次に秘伝あり、こは先師も其霊胎凝結伝に於て、修法の順次を誤りては其効あることなしと述べたるが如し)而して後、天運到りて道場参会の暁、斎主より第三伝(口伝)直授の道機を全うせられん事を望むなり。

 本伝修法の順次はさして複雑のものに非ざれども、矢張り其大要は予め各自の自修習練を積みて後道場に参会せられ、以て画竜点睛の口授を受くるにあらざれば、道場滞在の日程中に於て一々口授によりて其全順次に通ぜらるゝ事は限られたる日数の上より稍々重荷の感あるにより此筆伝を出すに決せり。加之、道場直授課目は極めて豊富なれば、本法の授受に多くの時間を割くべき都合となり難き憾みあるを以て、止むなく口授の仙掟の一部を緩和し、伝書を以て其要伝を講授すべく神許を請ひたる次第なり。然れば本伝至極の一事は之を道場口授に俟つべけんも、其要旨及順次の殆どは伝書に審かに講伝せり。然らば此筆伝によりて気術伝のいくばくに通ぜらるゝやといふ如きは当らざる設問なれど、先づ伝書による修練を以て凡そ七功を得べきと思はるゝ也。七効を以てすくなしとす勿れ、七効とは千里のうち七百里を行く也。之を玄胎結成の過程に就て比言せば、七効とは五童の隠見出没を肉眼を以て目睹するに至るの過程なるべし。知るざる者は末だ一歩をも出でず。七百里にして一歩を顧れば、一歩を出でずして七百里を笑ふの愚に堪へざるべし。況んや千里をや。

第一伝 朝行引気法

 水位先生が之を小童大君(少名彦大神)より直授されたる気術の宗法たり。朝行とは朝に於て之を行ずるが故に此の称あり。引気とは真気を引くの意なり。真気はまた元気とも玄気とも謂ひ、太玄真一の元気なり。此元気を引きて陽府に留め真一を養ひ神通変化の門を開く也。太玄真一の元気とは何ぞ、道士みな之を言ひ、能く其の言を知る。而も真一の元気を体するの実修法に至りては殆ど暗中模索に相似たり。本法は小童大君の神伝を以て其要旨及順次伝を詳伝せり。小童大君少名彦那大神が金闕上相大司命とて、伊邪那岐大神の代命神に坐し、神仙中の大司命神として凡そ神仙の霊伝要術殆ど此大神に朝宗総攬さるゝ趣は道士みな之を知るところ、而して奉道の士の要道たる気術朝行引気法が此大神の親授に出づる所以のものも亦た言を俟たずして明かなるところなり。

第二伝 夜行調気法

 先師が師仙杉山清定仙君(天之息志留日々津高根火明魂之王命アメノオキシルヒビツタカネホアカルタマノミコノミコト)より口授されたる調気九転還丹の気術伝にして、其冠称の如く夜間に於て之を行ふもの也。(就寝の後、床中に於て行じ其儘眠に入るも可なり。特に従来夢感法・夢中脱魂法等に進境思はしからざるの士は、本伝を修することにより境界忽ち一変して乾坤為に闢くを覚ゆべし。)本伝を水位先生に口授せられたる杉山清定仙君は我神仙道七師仙中の上仙に坐し、其御本身の尊貴なる御神格に就ては嘗て神仙道誌(第一号及二号所載異境備忘録補遺前編の一、二)に於て其片鱗を謹記し奉れるも、御神名は其御神徳を表現するものにして、惟ふに仙君の御本身たる天之息志留日々津高根火明魂之王命なる御神名を窺ひ奉れば、仙君が神仙の要術たる気術に極めて密接なる御関聯を有せらるゝを知るべし。

 即ち天之息志留アメノオキシルは「天之息知アメノオキシル」にて、知ルはル、ル、ルにてムネとして主宰し給ふの義にして、アメを掌り給ふの意、火明魂ホアカルタマは火の輝くが如き明徳の神の義とも解し得らるれど俗解にして、天之息志留を承けて解すべく、と同義語なれば霊明魂ヒアカルタマにして、天之息アメノオキを掌り給ひて霊妙清明の魂徳を与へ玉ふ神の義なり。(日々津高根ヒビツタカネは、少名彦スクナヒコ直根日子スクネヒコなる如く神系を示すの称なれど今こゝにムネとして用なければ触れず)以て杉山仙君が気術の伝承に至要の御関係を持たせ給ふ本縁コトノモトを知るべし。

<注> 上の記事は旧本部時代に清水前斎主によって書かれたものである。記事中の「道場」とは旧本部の道場(現在は閉鎖)のことである。

仙家に気術ある所以ユエン

◎人は元気の聚合なるが中に最も二気を含蓄して生る。此気散じて死す。故に道家に気術あるなり。(水位先生)

◎道者は常に気を関に致す。是れ要術たり。(荀悦申鑒)

◎人は気中に存す。此気則ち四大の真気にして、生霊の依る所なり。天地間万物の生霊此の気中に充満す。此の故に感を以てすれば、万物応ぜざるは無し。(玉女隠微)

◎人は気に由って生じ、気は神に由って住す。気を養ひ、神を全くすれば真道を得べし。凡そ万物の中に在りて保つ所の者、元気より先なるはし。(太乙真人)

◎人は気中に在り、気は人中に在り。天地万物、気を俟ちて以て生ぜざるは無し。(抱朴子)

◎道は気なり、気を愛すれば則ち道を得、道を得れば則ち長生す。(食気経)

◎八方の精霊、我が丹田に入り、天地上下の万霊、同気にして帰一す。(小童君)

◎気を下丹田に治る事は真人の至て重ずる事なり。(水位先生)

◎此道(霊胎凝結)を行はんと欲する者は九転操丹並に調息の術畢りて後これを行ふべし。(水位先生)

◎善く気を用ふる者は、水をけば水之が為に数歩逆流し、火をふけば火之が為に滅し、虎狼をふけば虎狼伏して動き起つことを得ず、毒虫にあてられしものあることを聞かば、其人を見ずと雖も遙かに為にふきて我手をイノるに、すなはち彼人百里の外に在りと雖も即時に皆癒ゆべし。(抱朴子)

◎予が従祖仙公、つねに大酔し、及び夏天盛んに熱すれば、すなはち深淵の底に入りて一日ばかりにして出るは、正に能く気を閉ぢ胎息するを以ての故のみ。(抱朴子)

◎道を修する者、常に其気を臍下に伏し、其神を身内に守れば、神気相合ひて玄胎を生ず。玄胎既に結べば乃ち自ら身を生かす。即ち内丹不死の道を為す。

◎気、身に入り来る、之を生と為す。神、形を去り離る。之を死と為す。神気を知れば以て長生チョウセイすべし。

◎神気は人知ること能はず。至道の者は能く知るなり。知る者は但だ能く心を虚うし、気を保ち精を養ひ、恬淡以て神気を養へば即ち長生の道ヲハる。

◎邪気尽きざれば仙を為さず。元気は即ち正気なり。常に元気をして内に運らしめよ。元気サカんなれば則ち邪消ゆ。(幻真先生)

◎道士八道を学ぶの始には必ず此文の義を大悟するもの也。(水位先生)

◎気は天地の本なり。五臓は五元の末なり。水は形のハジメ、気はムスビハジメなり。(玄道秘詞の一節)

◎気を閉ぢ、液を呑めば、気化して血と為り、血化して精と為り、精化して神と為り、神精充溢して九年にして形をふ。形易れば則ち変化す。変化すれば則ち道を成す。道を成せば則ち仙人と為る。(西王母伝)

◎夫れ身を修めんと欲せばマサに其気を営むベし。太上真経に所謂る益易の道を行へ。益とは精を益し、易とは形を易ふるなり。能く益し能く易ふれば、名、仙籍に上る。(西王母伝)

◎夫れ一人の身は天之に付するに神を以てし、地之に付するに形を以てし、道之に付するに気を以てす。気存すれば則ち生き、気去れば則ち死す。身は道を以て本を為す。豈、神を養ひ、気を固め、ナンヂが形を全うせざるべけんや。(西王母伝)

◎気は万物の霊爽なり。(太清神丹経)

◎人は得道の器なり。気は命をマネくの根なり。根抜くる時は則ち命終り、器敗るゝ時は則ち道去る。(老子)

◎気なるものは則ち生の本なり。天地万物悉く之に依りて生く。此気に応ずれば則ち感ず。感ずれば則ち神明に通ず。(神なるものは則ち気中の霊物なり。是れ則ち生霊の集まる所、水火の属する所なり。)(水位先生)

◎気は万物の大宗にして生霊の帰する所なり。(宇林先生)

◎玄気なるものは則ち四大の本にして霊妙の由って出る所なり。(水位先年)

◎霊妙に通ぜんと欲せば、先づ霊感之法を以て玄関と為し、大解脱法を以て要路と為す。此にれば則ち通ぜざる所なし。通なるものは感応の本にして想念の帰する所、念なるものは霊魂の凝結する所にして真気の集まる所なり。(水位先生)

◎形なるものは則ち四大の作る所にして之を保つものは則ち気運なり。精気なり。其精則ち真なり。古人之を玄気と曰ひ、霊気と曰ふ。(水位先生)

◎神仙の道は、身を生かせて以て玄気と體を同うし、不死之身を成して天庭の間に出入し、真図を帯び霊符を懐きて天地とトモに存す。是れ即ち真人の至って秘する所なり。(水位先生)

◎人、生を好むことを知りて而も生を養ふの道有るを知らず。死を畏るゝことを知りて而も不死之法有るを知らず。朝より暮に至り但だ死を求むるの事をして了り、生を求めずして命ツヒに終る。天、豈いて之を生かさんや。故に好道の士は、生を養ふの道有るを知りて、励めて之を行ひ、謹みて之を守れ。(水位先生)

〔追補〕剣仙の術との関連性 ~筆者の体験談~

 これは昭和三十六年に作られた伝書であるが、ここに私が現代風に文書を手直しし、なお且つさらに清水前祭主が自分用に伝書に赤色鉛筆で書かれた部分を更に追加してある。また、今までの伝書では足を組む図を省略してあったが、その図をのせてある。これは文書だけでは見てもわからない。
 この足の組み方は、実は以前に別の剣仙の術をならった折、この門派のは馬歩マホを重要視する物であり、低い姿勢で二時間馬歩をする。最初はすぐにしんどくなるが、やっていく内に手のひら、脇の下、膝の後ろの部分、足の裏などに球体が出てきてそれらが体重を支えるようになる。最初から当然二時間は無理だが、徐々にその時間を延ばして行くのであり、汗が畳にしたたり落ち、ひたすら我慢の世界であり、近所の人からはえらいヤセたねと言われた事があった。
 最終的には両足が膝と平行になるまで落とし、それで二時間行なうのである。武術的には相手を倒す場合には、手のひらより球体がすでに出ているので、その球体を相手にぶち当てるのであり、ただ内勁だけで打つのではない。

 そしてこれには臥功があり、つまりは寝て行なうのであり体を横にして行なう。この時の足の組み方は杉山仙君伝の夜行調気法の組み方とまるっきり同じであり、杉山仙君のはそのまま体を倒して行なうが、剣仙の術の方は体を横にして足を組み行なう物である。
 これからもわかる様にいづれも神仙界から出た物であり、日本だとかあれは中国系統の道教であるとか申すのは何も判っていない者の言う言葉である。

 この剣仙の行法を行なってしばらくしてから夢の中で、水たまりがあってそれを飛びこそうとジャンプすると私の体が下に落ちずに中間で空中に浮いていた。これにはビックリした。何回やっても同じで浮いている。そしてそのまま空中に上がって行けるようになった。スケートのように足を動かして上に行けるのであった。那咤ナタ太子の風火輪の様に飛んでいけるようになった。

 ある時の夢で町中を歩いていると、その時は夜ではあるが私の夢では夜の部分がない。いつも明るくつまりは昼間なのだ。出神・使魂して夜であってもいつも目の前は昼間であり、深海の暗闇の世界であっても、私の目の前は昼間であり、暗さと言う物がない。私の目の前を歩いている人物が両手に印をくむと、その人は空中高く飛び上がって行き、すぐにその体が見えなくなった。そこで私もその様にやっても、体はピクリとも微動だにしない。するとすぐにそうではない、こうであると申す声が聞こえてきたのでその通りにすると、体が急に上に飛んだ、これにはビックリしてすぐに止まった。そこは高いビルの一番上の部分であり、レスキュー隊でも救助はむずかしい場所であった。

〔追補〕朱砂について

 故、清水斎主は神仙道誌の中で、杉山仙君はいつも朱砂を服用しておられるとの話があるが、神仙気術伝の中の夜行調気法の中に、唾液を練って丹田に送りこむ時に、朱砂を口の中に入れて唾液と共にこれを呑み込むとあるが、清水斎主はこの文を載せてはおられなかった。
 一般的にまとめて朱砂、丹砂と呼ばれるが、実は朱砂、神砂、丹砂、辰砂とこれだけの種類がある物で、これは水銀と硫黄の天然化合物であり、重くズッシリと重量感があるし、値段も非常に高い。これに対して水銀と硫黄とを合成して人工的に作った物は銀朱と呼ばれ、これは軽くて値段は天然の物と比べて物凄く安い。

 古来から錬丹、仙丹を作る上に於いて古仙達は非常に重要視していた物であり、しかしこれは人体に於いては有害な毒物であり、水銀中毒となるので、だから清水斎主はこの文を載せてはおられなかった。
 日本ではいい朱砂がとれなく、また多くの人は朱砂、丹砂の名前は知っているが、実際に現物を見た人は極めて少なく、漢方薬店の主にしても知らなく、又実際に現地に行って買おうとしても毒物の指定があり、なかなか売ってはくれない物なのだ。

 水位先生の「神仙霊符箋」の中に「悪夢がある場合には、赤い布の中に矢の根位の大きさの朱砂を入れ、これを枕の中に入れて寝ると悪夢を避ける事が出来る」との伝承があり、神仙気術伝合巻の中の第三伝とは気術伝を行なう前に唱える呪文と、又行なった後に唱える呪文とがあり、これは伝書には載せてはおられなかった。

 以前の中国の道士、法師連は朱砂にて符を書きこれを呑んでいた物であるが、それらの人達は法力、力はあったけれども、しかし晩年には水銀中毒で苦しんだ人もいた事も又事実であった。

朱砂1

朱砂1

朱砂2

朱砂2