洗髄功及び九九神功

年月日

 私が最初に入門したのはこの復興気功点穴訓練中心であり、約五十年前であろうか。羅斯福路通りの和平東路と和平西路通りを越してすぐの所にあった。そこは第一銀行の地下にあった。その館長は余金盛(涂金盛)であり、その總教練は弟の余金泉(涂金湶)であり、彼等の父母が常にいた。ここで彼等が教えていたのは武術気功であり、それに点穴であった。当時彼は師範大学の学生であり、卒業してから洗髄功の九九神功を教えだした。

 今はこの九九神功の余金盛はアメリカに移住しておられ、若い時の彼を知っているが、今の時とはまったく別人のように顔が変わっていた。
 神龍の「妙宗禅師」は彼等の二番目の兄であり、復興気功で時々表演会をおこなっており、その時には時々来られていて、熱湯の中にタマゴを入れてあり、これを指でつかむといった芸当を皆に見せておられた。弟を手助けする為にやってきているとの話しであった。

 ここでも私はその当時台中に住んでいて、台中訓練中心にて彼について洗髄功をならった。私の住んでいた所より大雅路は歩いても行ける距離であり、彼はその場所を借りて道場を開いておられた。

 洗髄功等を学び終えてそして皆に次は手を鍛えるのが良いであろうと説明していたが、しかし煉法と薬代のこの値段であると言われ、煉手の薬方は教えないと言われその値段も高かったので、私は習わなかったがある人らは彼について習っていた。

 彼等の一番上の兄も武術をやっていて台中に住んでおられて会いに行った事がある。台北の復興気功を習っていた時に知りあった武術の組み手もした事のある某氏もこの道場にいて昔をなつかしんだ。私はこれ以外にもこの洗髄功は天斬門にて教えておられた喬長虹老師より習った。
 武当派の玄武門の当主とも知り合い、この人についても洗髄功を習った。彼は武よりも医の方面に詳しかった。後に彼の知り合いの人からも、彼の親戚で桃園にいる閭山茅山派の人からも住み込みでこれらの術を習った。

 又南部に行った折り、その時は高雄で占い館を開いておられた我が師の鉄板道人の所に来て知り合った人の友人であった林氏は、風水や術を習っておられ、一緒にバイクにまたがりあちこち連れて行ってもらった。話をしている中で洗髄功の話しとなり、その話を聞いてみると、この洗髄功の秘伝中の秘伝があると言うのがわかった。
 これは一般の洗髄功の道場では決して学ばれない物であった。今、現在一般に公開されている物は本来の洗髄功のその半分程度である。

 又この林氏の紹介により簡氏を紹介され、この人も洗髄功をやる人であり、この簡氏は草薬を売る仕事をしていた。その簡氏より更にまた洗髄功の大先生を紹介してもらった。この人は馬歩したままで二日間そのままで、その前に置いてあった鉢に入れてあった草が枯れてしまったと師の娘さんが言っておられた。またこの人は武術をやっていて、馬歩と同じく武術を習った。
 間違えるとビンタが飛んで来た。あんたをなぐったのだから、あんたも俺をなぐっても良いよと言われ、その時は縦鶴拳をやっていたので勁をこめて打つと、うしろに数歩飛び下がった。

 九九神功では陰部にヒモをつけてトラックを引っ張ったり、又飛行機を引っ張ったりする表演をしていた。しかし台湾ではなんでもかんでも重い物をぶらさげたほうが効果が強いと皆は思い込み、あそこをケガする人達が続出したとの話しである。
洗髄功は台湾から始まり、そして華僑達が習い、そうして各地や各国に広く伝わっていった次第である。

九九神功資料

ここに特別に九九神功の資料を公開します。
※PDF資料のためスマートフォンはダウンロードしてからPDFアプリにて閲覧してください。またすべて繁体字となります

復興気功点穴訓練中心(PDF)

輔大学士余金泉老師親授九九神功(PDF)

復興気功九九神功(PDF)

神龍気功点穴訓練健康中心_妙宗禅師(PDF)

会員体験談