「開壇征悪揚善」の法

年月日

 約2006年の神戸にいた折、私事ではあるが、多年に渡り右隣の家と仲が悪かった。それは私の家の玄関の前で金紙・銀紙・紙銭を焼くので、その煙に絶え切れないとの事であった。しかしいつもしょっちゅう焼いているわけではなく、ほんのたまに焼く位ですぐに飛び出して来ては文句を言っていた。

 隣は夫婦二人と娘一人であり、この娘はもう結婚していて別の場所に住んでいた。彼等は近所でも評判の変わり者であり、皆と仲は良くなくて近所付き合いはしていなかった。

 亭主の方はもと消防署勤務であり、役もかなり上だったらしく、人に対しては横柄であり、人を見下してはいた。自分の車を出す時でも決して人に道をゆずらず、そんな事でご近所の人達も怒ってはいた。

 又この亭主はいつもトイレに入ると啖を吐くのであり、その啖を吐く時の音が異常にうるさく、家族ともお隣りだからといつも我慢をしていた。これはその家の右隣の人も同様であり、いつも不快なる音に我慢に我慢を重ねていた。

 後ろの人は前に車を置いていたが、車を出す時にエンジンをかけたままにして置いたら、警察に通報された。それは家の中の通路に廃棄ガスが充満して耐えられないとの事であった。彼等は自分の主張は百倍にしても言うが、人の事は知らないと言うそんな根性の持ち主どもであった。

 ある年になってから異常に文句を言い出して来た。ある時家に帰ると前にパトカーが止まっていて警官二人がいて、そのうちの一人が私に話しかけてきた。彼等二人も一緒に居た。通報があったので来たとの事で、焼くのは止めて欲しいとの事であった。

 これは焼いてから二週間位経ってからの話であり、次の日には市役所より野焼きをしているとの通報があったので来たと言っていた。これも彼等の仕業であった。

 カアッと頭にきて仕返しに「開壇征悪揚善」の法を行なった。霊符とともに発令符を黄紙に朱書して書く。そして開壇起師の作法を行ない、少しばかりの炒った大豆を門の外にもって行き、四枚の霊符と共に発令符を焼き、請師咒を念じて願い事を述べると共に豆をまく。毎夜施法して連続して行なう事七日間、修法に使ったロウソク・線香はそのつど捨てに行った。これは合計二回行なった。

 最初は悪人どもと周囲の人達と口舌の災いが起きる術をかけ、その次には本格的に家に災難が起きる術をかけた。しばらくして相手の家の様子が変になってきた。これは隣同士なので相手の家の状況が良くわかるからであり、あきらかに尋常ではなくなっていた。

 八月末に東南アジアに行き、日本に帰って来たのは九月十九日の夜の十時半であった。ふと気がつくと隣はやけに静かであった。次の日の夕方、買い物に行くときに右隣の人に出会ったら、彼等は出て行った。引っ越して行ったとの事であった。

 その家は借家ではなく彼等自身の持家であったから、皆はビックリしていた。右隣のご主人も良く出て行ってくれたと満面の笑みを浮かべておられ、誰もあの家の事を惜しむ人などは一人もいない。すっきりしたと喜んでおられた。

 ちなみに彼等が出て行ったのは、九月十八日でありました。紫微では田宅宮の右隣が廉貞であり、その年は廉貞化忌であり、廉貞は又火を現わす。

 この豆をまくのは「平妖伝」にある神将・神兵の兵隊を使う術であり、符を焼き豆をまく事で出現する物であり、彼等が家を売り払って出て行ってから隣の隣りの人は、彼等二人は知り合った人達に頼みこんで泊まり歩いていたとの事であった。この家はその後数人住んでいて人が変わっている。