風角術
風角術五呪中之一 第一授紀
水位先生御六十三年祭の吉辰を期し道士渇仰の風角術の解伝を念願せるも茲許斎主身辺多端にして詳述の逞を得ず、取敢ず第五呪の伝授に止むるも不日身辺の鎮静を俟ちて全伝詳述の天機を得んことを期し居れり。
風角之術は仙伝適々其の片鱗を伝語して仙真は風声を聞きて未来と吉凶を察知す等伝へたれど豈其れ占法のみならんや。風角は占法にも用ふれど、風角には風角を守るの識神あり、此識神を役使すること通常仙道の士のよく及ぶところに非ず、唐土にては数名の記伝あれど、我朝にては蓋し安倍晴明以来水位先生只だ一人のみ。
斎主之を先師の道統に得て密に攻究を積むこと廿年に垂んとするも其間嘗て其片鱗だに語りたることなきは故あることなり。然れども秘かに我命運を占ひて熟々思ふことあり、将来天任の士に其気線を結ぶの用意を慮り今一部篤信の吉士に五呪中の一を伝ヘ風角識神に見ゆるの便とす。
第二授紀はほぼ施行法に及びたるもの也。受伝を欲せざる向は時節未到にして即ち風角識神との交感に所縁なしと心得られ此書火中せらるべし。或はまた聊かの道念動く者は之を宮中に留め、時に深夜万籟寂として絶えたるの頃、折にふれて此辞を唱せらるべし。
其勝縁によりて、今より凡そ六百年の後また仙道を好慕するの念萌して再び人界に転生を得たるの際、或は時の神仙道後代道統者に邂逅接触するを得て之を受伝するの道機あらむ乎。
昭和四十二年 水位先生御六十三年祭日伝之
道統第四代 清水南岳 識
風角術五呪中之二
昭和四十二年三月二日水位先生御六十三年祭日を以て有階道士に対し第一伝を付嘱し其経過を静観し来れるが爾来五年月の順還を以て茲に第二伝を付嘱す。
此呪は第一伝の呪の前唱にして十七字より成る。前伝第一授紀にて陳述せる如く、風角は占法にも用ふれど、風角には風角を守るの識神あり、此識神を役使すること本術の眼目なれども、道力能く其域に及ぶ者稀なるにより、其気線を開くの用意を以て先づ其呪に熟せしめ漸次識神に見ゆるの便と為さんと也。
扨て此二呪を修唱するに際しては風角識神を召見するの姿勢を以て臨むべきことを第一義とす。而して此識神は術者以上の存在に非ざることは「役使」の字眼に徴して明かなるべし。さりとて之を僕婢の如くに見做して蔑視すること亦た当を得ず。
先づは風角識神は術者の親近なる協力者にして術者の道徳・道力に応じて自づからに役使を肯んじ来るものなりとの姿勢を以て臨まるれば概ね可ならん乎。
術者の道徳―霊的資格としては混沌霊宝五岳真形図を受持し常に五岳の神気の感格囲繞を受くるを第一段と思料す。而して此の宇内何処に在りとも知り難き識神を、幽真の奈辺より呪力と感念力を以て導出すべきや、往年付嘱せる「神仙霊感妙術篇」を精読せらるれば思ひ半ばを過ぐるものを感得せらるべし。
昭和四十七年歲旦、有階道士参朝式之日
道統第四代 清水南岳 識
神仙界との気線
「風角の識神―風角術について」とネットに出ていたが、その文章を見ると大部分が前清水斎主が書かれた文であり、彼の書いた物ではない。もともと彼は私の所に入門していたが、早くより私との師弟の関係は断絶している。つまりは気線が途絶えている。
この気線が途絶えるとは神仙界との関係がなくなると言う意味であり、術を行なってもその効果はなくなるのであり、ただ資料を入手してあとは自分達が勝手に行なうという訳にはゆかなく、気線とは生きたつながりなのであります。
風角術の全五伝も私が彼に伝授した物であり、彼がネットで書いているような「水位先生より、全五伝を許されてあり」ではない。風角術と書かれたのは清水斎主であり、元の名は「兆産大五占秘法」という名称である。
これとは別に又同じく風角術で「奇感八達霊法」と言う、水位先生の伝がある。
神には簡単になれるなどのバカゲタ話は信じないほうが良い。
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