太上道君保命符

年月日

 太上道君は即ち三天太上大道君伊邪那岐大神(天皇大帝とも尊称する)に坐し、万神万霊を生み給いし至尊の元霊にこれ有り、保命符とは即ち天授の真性を失う事なく、寿命を保全するの霊符の意にこれ有り。

 昔は男子門を出れば七人の敵ありと言えるが、今は老弱男女を問わず、門を出れば突如として交通事故の伏勢あり、列車、電車、自動車、船舶、航空機、安心して命を託し得るもの一つもある事なく、毎朝生別死別の思いにて門を出て、毎夕父母妻子と顔を合わせ得て始めて安堵あんどし今日も一日の命を保ち得たるを喜び合うなり。
 しかも家内に在りて安如たり得るやと言うに、凶悪犯罪の横行は時と所と相手を選ばず、類焼被災の危倶は日夜心を安からしめず、一呼一吸の間といえども七難七災を荷えり。

 かつて微言し来れる如く、地上世界未曾有の始動は、彼我の別なく、既に人民の身辺に迫り来れる事、あたかも大崩壊の崖下に立てるがごとし。しかも地上現代に生きる者の遭遇すべき必然の大運命にして、その激動の気線の震源を改むべからざる事、狂澗きょうらんを已倒に回らすべからざるにわたり。ただその崩壊の間隙を縫いて、如何いかに逃れ、いかに避け得べきか、に係るのみ。

 世局の動崩はいよいよ苛烈かれつなるを以て、先師が「乱世に難を避け、道の為に命を保つは道士のつとめ」といわれたる本旨にかんがみ、ここに有縁の道士間への出符を決せる次第なり。

 此の符に関する奇霊なる霊験報告は極めて多きも、ここに特異の例として、水位先生の日誌中に記されたるを挙げるに、先生の従姉妹にて満寿子とて浜田氏へ嫁げるが、一日大阪へ渡航の節、(明治初期の頃とて小さき帆船なりし)特に此の保命避難符を与えたりしに、満寿子は出発を急ぎけん、此の符を自宅の神殿内に納めたまま佩帯を失念して乗船せるが、途中荒天に遭いて難破し、海中にさらはれて生命を失う者多く、満寿子は帆柱に身体を縛して危うく急死に一生を得たるが、帰国後、家人の語れるに、あたかも難船漂流とおぼしき刻限の頃、神殿の内にて怒濤どとうの響き帆柱のきしりの音など聞こえ来たりて、一層奇異の思いをせりと聞き、扉を開きて守り袋を取り出しみるに、潮の匂いあり、即ちこれを開き見たるに、数多ある守り札の中に、此の保命避難符のみぐっしょりと海水に濡れてありたりとて携え来りたるを、水位先生も手にとりて検しみるに、正に海水に浸したるが如しとなり、此の符はもとより身に帯ぶべきものなれど、ここには数十百里を隔てて、かかる奇異の霊験のありし一例を誌しおく也。

 此の符は符の外包みの裏面に道士何某と自分の氏名を墨書し、その左側に男(または女)何歳(数え年)と認ためられたし。本来、仙寿に幸うの符なるも、素より肉寿(人寿)の効用にも亘る。二枚を朱書し、一枚は神殿或いは箱中に納めて清床に奉安し、一枚は折り畳みて封じて守り袋に納めて外出の際など佩帯する。

 今やコロナでこれにかかり、又死亡する人も多く、これの後遺症に苦しんでいる人達も多くいるのが現状であり、年運的に庚子年、今年の辛丑年、そして来年の壬寅年も又コロナ及びデルタ株が猛威力をふるうのであり、今年で収束すると思わない方が良い。
 特に来年は又壬の武曲化忌であり肺を現し、これが非常に悪くなる事を表わしている。
 特に社会上に於いて金融関係の人や普通の仕事をしている人達が多くかかるであろう。もはやカゼの類いではないのであり、空気感染に拠るであろう。
 要するに対面ではなく、これは空中にただよっているその悪気に触れて感染するのであり、白蓮教の師曰く、俺はこれに感染して入院している人を一週間にして退院させた。それはこのウイルスは悪気、悪殺の固まりなので、観音符三枚を毎日玄関にて焚けば良い。