神集岳真図
道士会開闢三年・宿願茲に成る
神光陸離たり
神集岳真図遂に出づ
丹章籍簿登録の道士に付嘱
私たち道士が永遠の生命を托する絶対信仰と真胎生活の目標たる神集岳神界。私たち道士の奉ずる神仙道の霊統上の神祇師仙達が現実に鎮り坐す神集岳の神仙境、地球開闢以来の幽真秘録たる異境備忘録や幽界記を理会し之を信念化する上に於て必須の感想図巻たる神集岳真図。
水位師仙の霊筆によりて親しく其の地形山岳河川公路草木風物の全貌より幽玄の神府宮殿楼閣遊宮諸機関の所在に至るまで万古の神秘を披いて巨細となく之を人間に将来せられたる霊宝神集岳真図の付嘱に就ては、全道士必死の熱願にも拘らず極めて慎重の態度を持し、只だ偶々真図感格修法等の事ありて龍窟より之を出庫し奉り居たる際五台山本部を訪れられたる極めて幸運なる道士若干の方のみが極く短時間拝観の道福に浴した事があるのみでありました。
宇内の大玄都幽府の最高神界真図の付嘱といふ如きは天機の最も重きもので、軽々に之を伝ふることは固より幽掟の許し給はざるところであります。
然しながら一面に於て、道を求めて仙果得道の機縁を現界に成就すべく再生三生の転生を経て漸くに生を今代に享け、千古難値の勝縁を以て水位派神仙道に結縁せられたる道士得道の階梯として其天機の一部を開くことは固より宗家の霊的任務の核心とするところでありまして、ただ其の付嘱の時期と受伝者の選択を誤らざることが吉凶咎否の岐るるところで真に尋常の業ではないのであります。
之を洩せば泄宝の咎あり、之を藏すれば断道の罪ありと嗟嘆せる古聖仙の達言は実に宗家当面の感慨であります。
神集岳真図の授伝付嘱に就ては、宗家としても只だ拱手して今日に至つたわけではなく幾度か幽許を乞ひ奉る処置が執られたのでありますが、時期尚早の占意ありて逐に荏再に経過したのであります。而るに道士会開闢以来満三星霜の歳月を累ね、篤信の道士中にも或程度の帰幽者を見るに至りました。
是らの道士中には、現界生活中神集岳神界の実境を想通するに足る真図を授かり以て現界修行生活に画龍点睛の霊機を受け且は帰幽後我が霊魂の神集岳に鎮まるべき本願を念証するに足る安鎮立命の信仰を与へて頂きたかったといふ意味の遺言をして行かれた方もあり、又た不言の裡にさうした一種の御不満を抱いて逝かれた方も多い事と推察さ れる事情があり、本部としても意を決して其衷情を披瀝して道士会開闢満三年を道機として一部篤信の道士に対し霊宝神集岳真図の付嘱を承諾あらん事を神界に執奏し逐に丹章籍簿登録の少数道士に限り之を付嘱すべく決定を見たのであります。
丹章籍簿といふは全道士中より選抜して道心堅固志操確立以て水位大霊寿真門人中の逸足として重大秘事を托するに足るべき道士中の道骨を登録する特別門人帳ともいふ可きでありまして其数は現在のところ全道士数の一割にも達していないのであります。
此の丹章籍簿中より更に選抜て金文籍簿、金文籍より更に選抜して太玄生符六甲霊飛十二秘事五岳真形図等を受くべき紫書籍簿への登録を見るのでありますが、是らは難中の難事でありまして、人間の頭脳の判断で果して此の三籍の区分登錄をどの程度まで誤無く決定し得べきやを懼るる次第であります。
本日此の書状を差上げ得る方々は、道縁ありて丹章籍に登録を見たる方々でありますが、此の付嘱の事実は絶対に他言せらるることなく、又た帰幽後は必ず此の真図を炎上せらるる樣固く遺族にも遺言処置して置かるるやう御誓約をして頂かねばなりませぬ。
この真図は貴下御一人の現界生活中の霊的位地に副ふもので、御遺族とか家系とは全く別個なものでありますから、斯うした種類の、之を奉持するにも特殊の霊的資格を要する如き尊図を帰幽後もその侭に放任しておく事は御遺族の為にも不祥であり、遅かれ早かれ何らかの経路を経て神界に取返さるるものでありますから、此の点は呉々も御留意を願っておく次第であります。
授与の神集岳真図は、縦約二尺、横約二尺七寸に上る大型精図として一部分彩色を用い、また用紙は土佐産手漉特別上質和紙を使用し軸物として表裝し得らるる様考慮が払はれてあります。
真図には備忘録(八〇~八二頁参照)に誌されたる神集岳の実相は凡そ許さるる限り詳密に之を記入されてありますから、真図に対照しつつ八〇頁の「神集獄の形状を拝せんとするには先づ大空に登り西北の方に降る二時間ばかりにして着す。神集岳の乾の力の海岸に楼門あり見麗門といふ」以下第八十二頁「環玉山あり、全山青色なる水晶なり。南力に当りて試霊山を見る。此山に穴あり、頂上は空碧にかかる家に貫通す。また東北より入るの通路あり。右神集岳神界の大要なり。」までの一章は繰返し精読せられ、真図を通じて眼前に其実景を見るが如くに想見せらるることが肝要であります。
すなはち宇内最高の大神政庁にして神集岳の中央幽府たる方義山中の大永宮を始め奉り、東海少童君少名彦那大神の鎮り坐す小理宮、太真東王父大国主大神の鎮り坐す九羅殿の三大幽宮、右林官司命神たる菅公の冥府、大永宮を囲繞する高位の仙宮、大霊寿真宮、小霊寿真殿、其他の諸仙居、高位の女仙宮、下位の女仙殿、勝縁ありて此界に居住を許されたる普通人霊の居廓、玄台其他幽府諸機関、退妖舘、紫見火台、改鑑台、遊宮其他諸造営物、万霊集接の公路たる雲人道、通天幽道、近英道、左英道、右英道等の通路並に沿道の諸官府楼門、特に我が道士が其の永遠の生命を営衛する幽界生活への臍蔕といふべき神集岳入境の第一関門黒龍鳳闕門、第二関霊裁門を経て大永宮至真大庁への通関順路並に師仙川丹先生、水位先生、方全先生御常住仙殿の所在位置等に就ては精密に之を標示してあり、また別に黒龍鳳闕門にて請受くるところの幽界通行判鑑符七種の符文も示されてありますが、古今、道を修むる学仙の士にして斯くも実相に即した周到の索引を受け得る道福が嘗て地上いづこに存在したでありませうか。
以て今次丹章籍簿登録による真図付嘱の霊的意義を深思せらるべきであります。人は生前最も其霊魂を寄せたる幽界に常住するに至ることは幽政上の一つの秘密でありますが、この真図は同時に感想真形図として威霊あるもので、之に想通し我魂を通ずること良久にして感念凝結して神集岳と気線を結ぶに至り遂には脱魂に因りて其真境にも来往するに至るのでありまして、其真図想感秘言たる水位先生所伝「天庭太玄秘詞」(全文八十二字)を真図の副伝として同時に相伝し総ゆる角度より登第の必至を期するやう用意されてあることを一言いたしておきます。
また真図には従前未発表の天機の秘密に亘る解説書が添へられてありますが、この書状に於て言及した部分は重複を避けて総て省略しますから、此書状も解説の前文の一部として併せ保留しておかるる様希望いたします。多くは印刷してありませんから再びは差上げられません。
昭和二十六年清秋
土佐国高知局区内五台山 神仙道本部
振替徳島一九五〇〇番