白蓮教

年月日

 今回、東南アジアに行った折、三山教の先生より「白蓮教」の伝授を受けた。これは昔から中国では邪教として各政府より取締りを受けていた物である。現在ではこれを教えている人は非常に少なく又高齢化していて、これの最終奥義である伝教を白蓮教の大人物は教えてはいない。

 私は拝師式を行ないそしてこの白蓮教の伝授を受けた。伝教までには十年かかるとの事であった。その符は非常に特徴のある符であった。白い紙に墨で書く物である。

 まずは水法の修練であり、先に請神呪を念じ、お碗に水を入れそして剣訣で十四封刀炮師公符を書き、そして大花字を書き、次に小花字を書き、二十六字の符を書き、又最後に又小花字を書き、そして長文の勅呪を唱えて、この霊水を服用するのである。これを行なう事四十九日。

 そして次には二種類である救苦符・封山符の霊符を白紙に墨で書いて焼き、日々これを服用するのである。白蓮教の霊符は約十五種類あり、最初は救苦・封山符のみを服用するのである。

 以上これが私の習った第一段階の修練である。来年も来なければいけないと申された。第二・第三段階もあるとの事であった。

 白蓮教は秘密主義であり、茅山や六壬などとは異なり、徹底的に非公開であり、簡単には教えない。それだけその威力がすごいからである。白蓮教には拳法もあり、それは武当拳であり、私は習っていなかったと師匠は申す。

 入門した折、師匠より五種類の符が白布に書かれ黒犬の血をつけられた護身符をビニールの袋に入れられた物をいただいた。これは聞くと高い値段のする物であると申し、辟邪・辟霊に特効のある物と申す。人には先に値段を申すとしりごみしてしまうので、まず持って効果をたしかめてからお金を払ってくれと申す。

 ある人がいてその人は病院で検査をしても全然わからず、何軒も病院を換えたが一向にその原因がわからず、そこでこの霊符を持って検査を受けてから、ハッキリとその原因の患部が写り出されたのであった。要するにその患者には霊が憑いていて、その患部が写り出されるのを邪魔していたからであった。

 もしもそのままの状態だと、原因がわかった時にはすでに手遅れとなってしまうのである。病院で検査を受けても、全然はっきりとしないと言う人は、結構、霊がからんでいるであろう。

 ある日の夜、白蓮教の界に出神して行った。すると彼らは団体で武力攻撃をかけようとしてきた。彼らはもともとが武闘派の団体であり、見知らぬ人物が一人来て、彼らは警戒したのであろう。先に捕まえてそして尋問をしようとしたのであろう。

 彼らは団体であったが、私は分身の術を使い、かれら以上にその数を増やし、彼らを追い詰めた。その時に白蓮教主が出現した。私はそこでかねてから疑問としていた白蓮教主に、白蓮教は昔から邪教として政府の取締を受けていた事をお聞きすると、それは政治闘争であると申す。彼らの部下たちは、皆当時の役人の衣服を着ていた。

 今の時代でも中国では白蓮教は取締の対象であり、もしも中国で「白蓮教」の道場でも出せばすぐに公安が来て連れて行かれて拷問に会うだろう。国家転覆罪で良くて拷問悪くて死罪となるであろう。それで昔の時代は彼等白蓮教の人達は南洋にと逃げて行ったのであった。

 明の時代を開いた朱元彰は当時勢力的に力のあった白蓮教の力を借りたりしたが、自分が天下を握ると今度はそういった人達や団体をつぶしにかかった。朱の軍師であった劉伯温しかりであり、彼のもっているすべての占術、奇門遁甲、風水の術などすべて皇帝に差し出せとのご命令であり、言うことを聞かねば一族すべて殺されてしまうのであり、そして皇帝からのお酒を賜った。

 これを飲まなければ死罪であり、呑んだとしてもそれは毒酒であり、当然劉伯温はそれがわかっていたが、一族郎党のためにあえてそれを服用した。自分の一族を守るためにあえてそうしたのであった。また皇帝のために明の時代を作るために努力した多くの友や部下も邪魔者として殺されてしまったのであった。