奇門遁甲陽宅風水開運法
奇門遁甲は方位を選んだり、使用する方位によってその目的を達成する物ではあるが、しかしこの陽宅奇門も大事な物であり、これは特に家の寝室の方位を重要視する。
人間は休息を必要とする物であり、睡眠とは人類の主要なる休憩の方式であり、睡眠とは人生の三分の一を占める割合であり、寝ている時には基本的に知覚や体の防御能力は大幅に低下する物であり、この時に外の邪気はその隙に体の中に入ってくる物であり、この邪気は又凶気とも称する。
我々が申す所の吉気、凶気、殺気は無形の物であり、目には見えなくてさわれない物ではあるが、しかし客観的に存在する物であり、この寝室の方位の不利なる影響はすぐには現われる物ではないが、多くはゆっくりと、知らず知らずの内にその影響を受けているのであり、早ければ数ヵ月、一般的には二年或いは更に長時間にかけて発生する物である。
間違った寝室の方位の結果は、凡そ体や精神の二方面であり、体では軽ければ病気になり、重ければ死亡する。精神的には異常となり、いつもイライラし、あせり、知力は減退し、経営は失敗ばかりで、法に触れたり、フラフラして歩き、ケガをしたりするのであり、一般的には児童は陽気がいまだみたず、陰気が不足しているゆえ、容易に凶気に侵入され易く、軽ければいつも病気になり、重ければ障害が残る物である。老年の人は内臓がすでに衰えており、いくばくもない余命ならば、容易に寿命が縮み加速度的に死亡する。若い人は日中の太陽のごとしであり、抵抗力は強く、その害を受ける程度もゆっくりではあるが、しかし本来体の弱い人や病気持ちの人は、容易に重くなり、或いは悪化する物である。
この寝室の方位の不利とは病気や災難を増加させる一種の条件ではあるが、しかしすべての病気や災難はすべて寝室の方位によってなる物ではない。良い寝室の方位に調整すれば、一種の簡単で有効なる災難を消す法である事は勿論の事である。
これは年盤奇門遁甲で以て判断する物であり、紫微斗数や四柱推命を必要とはしない。
三合風水では人の生まれ年によって東四命・西四命の二種類に分かれ、坎離震巽の人は東四命と称し、坤艮乾兌は西四命と称する。それぞれの命は吉方、凶方とに分かれ、吉方位は伏位・生気・天医・延年であり、凶方位は五鬼・六殺・禍害・絶命であると申す。
<実例1>
三合風水では甲戌年生まれの男性は震宮で、東四命であり、伏位は震の東方にあって、吉方位であると申す。
しかし奇門風水では甲戌年は震宮は子卯の撃刑であり、凶方位である。又壬辰年では震命であり、東四命に属し、巽宮では延年で、吉方である。奇門風水では壬年生まれは六儀甲辰壬であり、巽宮は辰巳であり、辰辰で自刑となり、凶方である。己亥・己巳年生まれの男性は坤宮であり、坤の命の人は坤位は伏位であり吉と称するが、しかし己年生まれの人は、六儀は甲戌己で、坤宮の未・申宮に入れば、戌未の撃刑となり凶方である。このように三合風水と奇門風水の仕方では吉凶が逆になる事例が多く出ているのである。
この東四命・西四命の三合風水はかなり前に香港を中心として、全世界的に広まったが、しかしやればやる程、それぞれの場所の景気は反って悪くなっていった。本場の香港でも以前の香港とは比べようがない程、落ち込んでいるのが現状である。
奇門陽宅風水では生まれた年の天干で以て分類し、それに三奇六儀をあい対応させ、時間の経過にしたがってあい異なる変化が発生するのであります。
天干とはすなわち甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の生まれ年の干によって、それぞれ絶対に寝室にしてはダメなる場所が、このそれぞれの十干によって存在するので注意が必要であります。
<実例2>
戊辰生まれで会社の従業員であったA氏は、体はすこぶる健康であり、定年後も相変わらず元気良く、家庭の経済は若い頃からの努力で、まずまずで金もたまった。そうなれば食卓には酒に肉が豊富にあり、眠る場所も改善しようと思い立ち、タタミ生活よりベッド生活にと移った。若い人達のようにベッドの位置を部屋の中間に持ってさて、見晴らしの良い景色を満喫しようとした。しかしながらここに眠る事二年にして病気がきた。胸にいつも押さえつけられている感じがして、呼吸困難となり、一九九〇年に死去した。
甲戌旬 己卯時
庚 癸 天内
庚 癸 景門 太陰
坤宮には景門があり、出血を意味し、庚庚は戦格の凶格であります。
<実例3>
長期にわたり腸炎をわずらっている病人がいて、その話によると何年もこの病気であり、何回も繰り返し、全然良くならず、又最近の検査で肝臓にも問題があり、すでにある部分が固くなっているとの事であった。彼の話では占いにベッドの位置をみてもらった。彼の生まれは一九四〇年の男性でそれは乾の命であり、もともとは東南の巽の所にいて、そこは禍害の方なのでそこに居てはならず、改めて東北の艮の方位に移った。そこは天医の方位であり、必ず良くなるとの話であったが、しかしもうすでに二年が経ち、良くなるどころか悉くなる一方なので、奇門で占ってくれとの事であった。
庚年生まれ人は奇門では巽宮に白虎がいて凶気が旺じて病気となり、占い師は東北の艮宮に移るようにとすすめた。東西四命の人の艮宮は天医の吉方に属し、理論上では良いが、しかし奇門での寝室の方位は、庚年生まれの人は艮宮に入れば六儀撃刑の凶格となり、病気が更に重くなる状態となる。この人は納得できなく、家にはその風水の本があり、その本の通り信じていたとの事であったが、しかしその本を信じてこのような状態になったわけであり、事実が何事にも雄弁に物語っているのであります。
<実例4>
一九九九年夏、女性が自分の父親の頭の病気の件で尋ねてきた。彼女の父親は有名な学校の教師であり、この二年間いつも頭部が気持ち良くないが、体がいいので医者にも行かず、また休みもとらなかった。ずっと科学の研究が好きで、彼は農業系統で、暑いさなかでも学生を連れて田んぼに行くので、やめといっても聞かず、今回は頭が痛くてやむを得ずベッドで休息するハメとなった。父親の症状は病院で検査した結果、脳腫瘤と言われた。彼はこの二年西南の坤宮に住んでいた。この父親は一九三五年の乙亥年生まれであり、乙年生まれの人は坤宮に入れば乙奇入墓となる。一九九九年、陰七局甲戌旬己卯時、坤宮に景門があり、景門は出血を意味し、また頭をも意味し、庚庚の天地盤の戦格の凶格であり、乙年は坤宮に入れば乙奇入墓で凶、それに凶門凶格があり、その障害はとても大きい。父親は入院して手術を行ない、その寝室の位置を離宮に持って行き、一年余りとなるが、いまだ異常は見られない。
<実例5>
一人の婦女が自分の娘の事で占いを頼みに来た。その女の子は一九九二年の壬申年生まれ、話によると、彼女は七、八歳になるが、障害で歩く事が出来ず、また話す事が出来なかった。来た人は二歳の時にこの子に病気がある事がわかり、占いで見てもらった事があり、また寝室の位置を動かした。壬申年まれの女命は兌宮の命であり、兌の命は坤宮にあって、それは天医の方位であり、天医だから体も良くなると思ったが、その実そうではなく、女の子は生まれて以来、ずーっと坤宮に住んでいた。
その奇門では、
騰蛇 天央
傷門 坤
坤宮に傷門があり、凶門が宮を剋して更に凶となり、幼児の体では病気になり易い。
太陰 天内
庚 庚
死門 坤
これは病気の起こった一九九四年の坤宮の奇門の盤であり、坤宮には死門がある以外に、庚と庚の戦格の凶格があり、凶の上に凶が重なり、病状は悪くなる事はあっても良くなる事はない。
更に又巽宮には白虎があり、木土の剋となり、それで病の治療は難しいのであります。
◆鑑定のご案内◆
ここで紹介した奇門遁甲陽宅風水については、占法の伝授はいたしておらず、鑑定の依頼のみお受けいたします。
この鑑定により、どの部屋を寝室にしていいのかが分かり、それによって運を開く事ができるようになる物です。
鑑定に際しては、その人の生まれ年、そしてその人の家の見取り図が必要であります。
この陽宅風水は普通の人であっても、当然大事なる問題ですが、しかし修道の道に入っている人にとっても重要なる問題であり、寝室の方位が良くなければ、修行がなかなか進まないとか、何かしらの邪魔が起こるなどの障害等が出てくるでありましょう。
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