六甲六丁之法
六甲六丁之法について
神仙道では六甲文が伝承されて居り、これも兵将を使う術であり、「太上幽宮青真小童六甲文、此書真仙之秘文也、神僊得道者皆用此文」とあり、感想法による感神の結出と相まって、霊応を示現し来る物であり、之は内感識神法であり、内感法は身内の感神を役使するので此の識神(玉女)は元来人の身中にやどるところの感神にして神通を司り、人の霊なる不霊なるとは此の識神の働用如何によることなり。此の識神、此の符気に感じてその働用を起こし、身外にも出景するに至るなり。六甲文の符験即ちこれなり。
「六甲霊飛伝の深秘」とて昔、伝書が出伝されたが、これは六甲霊飛十二事の基本たる六甲霊飛左右之符の伝写とこれが施行法であり、此の霊飛十二事中の一法たる使役法には外感法と内感法とがあり、外感法は主として外在の十二識神を招使するのである。要するに六甲六丁之法には体の内側より出すのと、体の外側よりお招きする二つの方法があるとの事であり、茅山六甲壇は外在の識神、即ち体の外側の識神をお招きするのであり、だからやり易い。体の内側からだと相当の修練を積まないとダメであろう(体の中を相当修練しないと、それが出てこない事になり、数年、いや数十年もの歳月がいるであろう)。
二十数年前に昔、関西支庁長であった溝川古鏡氏の家に正月に訪れた事があり、神戸の湊川神社の近くの楠町にあった。行った折にはすでに御当主は亡くなっておられ、息子さんのみがおられた。蔵書類を見せてもらうと仲々の和本の本が沢山あった事を覚えている。
故清水前斎主のお話では溝川氏は易者をやっておられ、此の六甲文をやってから易占が良く当たるようになったとのお話であった。
旧神仙道は六甲文と云って、符図が一つ出されていたが、実は此れは「神僊得道者皆入山用此文焉」とある文であり、それにまだ三つの符図・符文があり。
一図は三天太上道君冩の符文、二図は太上真人金闕老君霊文の符文、第三図は太上幽宮青真少童六甲文冩の符文、第四図が神僊得道者皆用此文の符文である。授紀にも「もと太上幽君たる三天太上大道君伊邪那岐大神より出で、太上幽君宮上相たる青真小童君少名彦那大神の司り給う秘文たり」と出ている。
惜しむべきは、一・二・三図共に虫食いの部分があり、第四図のみ虫食いがない。また授紀中に曰く、「六甲六丁之法には種々ありて、瓊宮五帝内思上法・霊飛六甲内思通霊上法を始め、上清瓊宮霊飛左右上符など六十玉女符を六十日にわたりて服し呪文を呪して玉女図を感想するの法などもあれど、此の六甲文を施行せばかくの如き複雑を要さざるなり。」とあるが、これらは「唐人小楷霊飛経」と云う本の中にのっている物で、清水前斎主もこの本を見られたのであろう。これは書道の教本になっている。
楷とはのり、手本の意味である。霊飛経又は六甲霊飛経と称し、唐人のうつす所、大唐開元二十六年太歳戊寅(年)二月巳亥 一日(初一日)大洞三景弟子玉貞長公主奉・・・と成っていて、B4判で、全文22ページの薄っぺらい本である。
「六甲霊飛伝の深秘」の伝紀に、仙経に曰く「韓偉遠は昔中岳の宋徳元先生を師とし、六甲霊飛の符を服してより道よく行はるるを得て、九凝真人となれり」。
仙経にはその史実をのせて、道士韓偉遠がどうも修道に妙を得ず、遂に宋徳元先生に師事して此の第一事を授かり、六甲霊飛左右之符を服してより、道術もよく行なはるるに至り、遂に得道して九凝真人の道号を得て仙階に列するを得た仙伝がのせられてあり、韓偉遠は恐らくは霊飛十二事の尽くを得たるには非ざりけんも、此の左右之符を服したるより生録にも登せられ、遂に真人と成れるなりけり。
「唐人小楷霊飛経」の18ページに九凝真人韓偉遠、皆此の方を中岳宋徳玄に受け、徳玄は周の宣王の時の人、此の霊飛六甲を服し道を得、よく一日行く事三千里、しばしば形を鳥獣に変じ真霊の道を得、今崇高(山)にあり。
今、九凝山に住まいするその女子には郭勺薬、趙愛見、王魯連等並びに此の方を受け而も得道した者また数十人。或いは玄州に遊び或いは東華方諸台に住まいする。
上清瓊宮陰陽通真秘符
この霊飛経の本の最後に上清瓊宮陰陽通真秘符がのっている。その内容は以下の通り。
甲子の日及び余の甲(すべての甲がつく日のこと、要するに六甲の日、甲子、甲戌、甲申、甲午、甲辰、甲寅日)に至る毎に上清太陰符十枚を服し、また太陽符十枚を服す。
先づ太陰符を服する也。人に之を見らしむるなかれ。千金(大金)を出されても人に与えべからず。六甲の陰とはまさに所謂これ(ひそかに行う事)、二符を服するにまさに叩歯十通にして微祝に曰く(呪文を唱へる事)、終りて符を服し、液を咽む事(唾液を呑む事)、十二過(回)にして止む。
右、此の六甲陰陽符はまさに六甲符と共に陽の日に朱書し、陰陽の日には墨書して服する。祝(呪)は上法の如し(同じように行う事)。
六甲文は授紀の中にこの施行法を清水前斎主は書いておられるが、実はこれだけでは不充分であり、まだ口伝があり。