内家武学・丹功拳(2)

年月日

一、内家武学及び仙道を修するに於いて、その大事なる事は体を作る事であり、その体を作るのはどうするのか?
 普通に体が弱い人などは気の修練を行なったとしても、なかなかその効果が出にくい物である。
 築基で家を建てる時の土台となるのは膂(りょ)と申す言葉であり、この言葉は国語辞典にもあり、膂とは背骨の力、筋肉の力とあり。これは中国での古い以前の人達が俗称に板油と申す所の物である。
 武術を練る人は腰が丸くて体が強い。もしもその後腰をなでさすれば、普通の人とくらべて盛り上がっている。これはこの板油が厚い事を現しており、これは贅肉の脂肪ではなく、腎精が足りている表現である。板油は人にはすべてあるが、大小の違いのみである。
 腎脂は実に腎臓の腎精であり、腎脂が腹にあれば肪と申し、背にあれば膏と申し、腰にあれば膂と申す。
 精を生じ髄を補えば、板油は段々と増え、肪が成り髄が満ちるに至る。
 これが真正なる内壮であり、板油の貯蔵が豊厚な人は、背柱の油膜が下りて腎に通じ上は心臓に連なる。これが即ち膂力の本であり、内壮の本である。

 二三十歳の壮漢或いは大力士の腰は丸く、背部の筋肉は隆起している物であり(板油は腰背の両かたわらの油膜と肪である)、そのパワーは極めて大きく且つ性能力は気に満ち活力があふれている。
 後ろ腰は二個のふくらみがあり、この腰が円なのは絶対に脂肪の贅肉ではなく、それは腰の外面に一層の厚い油と精膜に包まれているのである。
 仮に生まれつき板脇(これは脇をつかもうにもつかめない事)で腰が円でその蛇がわだかまっているような筋肉なのはそれは必然的に先天的に根基がある大力士、即ち怪力の持ち主である。
 三国誌に記載されているのに、関西の人、姓は周、名は倉、両腕に千斤の力あり、板脇髯(きゅうぜん、みずちがとぐろを巻くように、曲がっていていかめしいひげ)、その姿はとても偉大であった。

 伍柳派丹法伝人の王さんが言った言葉に、ブタを殺したのを見た事があるか、ブタを殺してから二つに切ったとして、ブタの二つの腰のどんな所とかと申すと、そこに二つの大きな塊の油がつまっている。しかし、この場所の油はその他の所のブタ油とは違っている。このブタ油は大きな塊であり、この腰を包んでいるのが二塊の油であり、それはとても柔軟であり、この両塊の油を「膂」と呼ぶ。
 もしも人で腎気が不足していれば、針灸推拿をやっている人達は知っているのであり、この人が来てベッドでふせれば見ただけでこの人の腎気が不足で腎気が虚弱なのがわかるわけは、この人の二つの腰のその場所がすべてくぼんでしまっているからであり、それはその油が多くないからであり、解剖学を学んでいる時、絶対多数は病で死んだ人であり、すべてその油はへり去ってすでになくなっている。
 この死体を解剖してもこの油を見れないのであり、ただ新しく殺した牛やブタなどはその油が特に厚く、その物を「膂」と呼ぶ。この油が力の源泉である。

 古代人が武将を膂力多大で、横に八匹の馬を押し、九頭の牛を引っ張り、片手で千斤を上げるなどはこれはそれが元気が十分であり、腰のこの所の油膜が多い、それで膂力絶大と申すのであり、この力を使えばその勁は腰のここより出てくる物であり、もしも膂力が不足していれば、どんなに名師に出会い、祖師伝来の真伝を得られたとしても、真正なるカンフを習得出来ないのである。
 なんでなのかと申すと、それは膂力が不足していて、それで大成出来ないのである。
 昔の練武の人の膂力驚人なるのは、これらの人は常に鍛練をしているからであり、彼らは晩御飯を食べてから何をしているのかと申すと、彼らは玄関前の石獅子を一種の遊び道具として鍛えていたのであり、毎日鍛えそれでその膂が出てくるのであります。
 古代の壮士は腰にすべて両塊状の物があり、現在の人はすべて膂がなく、それは腰にある二塊の油であり、この物を練らなければ人はそのような力気が出てこない。

 強壮秘訣に用いる内功速成の秘伝中薬があり、それは鍾乳石である。これは日本でも手に入る物であり、ネットにも出ている。
 これはその鍾乳石の選び方及びその修治方法、服用方法にも色々な注意事項がある。
 これを服用してからは毎日、牛羊ブタ鹿熊肉等を多く食べるのであり、また牛やブタ羊等の骨を煮てスープの骨湯として飲む事も大事であり、術を行なう者は牛肉・牛骨はタブーではあるが、鹿肉や熊肉などもネットで注文して手に入る。
 亀戸では小チャイナタウンがあり、中国食品店が多くあり、冷凍ケースに入れられてブタの骨や牛の骨・羊の骨が売られている。
 中国では普通にこれらの骨を煮てスープとして飲む習慣があり、また即席に牛骨高湯、鶏骨高湯、猪骨高湯などが1キロ入りで粉末とした物を容器に入れられて販売している。
 中国食品店で大骨濃湯スープを探したが、これらの食材は売っていなかった。

 百日以内はセックス及びオナーニは行なってはならず、一か月後精気は満ち盛んとなり、百脈は流遍し、身体は熱くなり、臍に肉がつく、食味は甘美にして、食糧は大増し、その陽気は日々盛んとなり、これは効果が出てきたのであり、此の時は腎気は旺盛となるので、この時は性欲が旺盛となるので、性欲を押さえてセックスを絶対行なってはならない。そうでなければ精気が枯れ尽き、精気が漏れ出れば寿命が縮まる物であり、この鍾乳石を服してからは必ず内功を練り、且つ百日以内は必ずセックスは禁止である。
 鍾乳石を服してセックスを禁止しない人で、病にかかった者は極めて多いからである。

 百日修練で(ペニスの)雄壮なる事火の如く、熱さは紅鉄のようであり、築基がなってから陽関を閉じて交わるも洩らさず、百日修練して腰が大きくなる事三センチほど、臍下に肉がつき、長く練れば板の脇、牛の背となり、鐘乳石と内功を配合すれば良く腎気を充満にし、腎陽を旺盛にし、飯量は極めて大きくなるのであり、飯量が人よりも多くなるのはこれ内家功夫の象徴であり、飯量が極めて大きいほど身体は強くなるのであり、飯量が増大する事によって水谷の精微を摂取し暴増し、腎精を補充し、骨が極めて重く、極めて硬くなり、筋は極めて強くもり上がり、筋肉や骨が強くなってこそ、神力が出るのであり、腎気が充満につれて、飯量が大増するようになり、欲望は減少し、精は満ち気は足り、全身は柔らかくなり、骨格は鉄の如く、気血は旺盛にし金剛の体となる。

 揉腹功を行なう事一~三か月にして内気は充満し、爆発力と耐力ははっきりと増強しており、腹部は変じて豊満となり、変じて柔軟となり、腹部の内膜は騰起し、腹のくびれは消失する物であり、これが筋膜騰起の成果であり、鍾乳石と配合すれば臍下に筋肉がつき、此の功法は迅速的に「膂」が練り成る物であり、膂力が大増する。

 余に一人の弟子がいて、少年の時に過労しすぎて、また若い時からセックスのし過ぎで、体はやせて衰弱していたので、我が道門のこの内功強壮の法を教えた。
 内功を練り揉腹功、馬歩功を行ない鍾乳石を服用させた。
 三か月後身体は柔軟し、固いこと鉄の如く、顔色は紅潤いし、皮膚はうるおい、両腎は熱湯のようで、背中や腰部に調整が発生し始め、セックスの運動にそれ相応の変化が発生した。
 以前は腰を動かした時にはその動きが硬かったが、現在はとても敏捷性があり、ある意味動物的である。
 会陰の部位の筋は非常に強健となり、この会陰の所の筋が弱いと早漏となるのであり、三十分左右にしてその妻はオルガスムスに到達して退出となった。
 その時も交わって洩らさず、次の日身体もまた疲れていなく、精神も大変元気があった。

二、小周天
三、大周天
四、内家腿法秘伝渾元功(内家拳の足の鍛え方)
五、拍気法(拍打法)
六、鉄襠功(これは要するに洗髄功であるが、少し異なる)
七、内勁穿透力(鉄の腕輪・ワッカをはめて修練する)

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